2015年2月12日木曜日

高倉健の魅力 山田洋次監督「遥かなる山の呼び声」

しばらく前に書いたノートでハリソン・フォードと高倉健が「男の中の男」のイメージを持つ点で共通していることを指摘したが、健さん追悼シリーズ(一人で勝手にやっています)の一つとして山田洋次監督の「遥かなる山の呼び声」(1980年)を観て、その思いを強くした。

この映画は北海道を舞台にしている。酪農で生きる母子(倍賞千恵子と幼い吉岡秀隆)と健さん演じる逃走中の男の心のふれあいを描いた映画のほのぼの感は、1985年にハリソン・フォードが主演した「目撃者 刑事ジョン・ブック」(ピーター・ウィアー監督)の世界とよく似ている。この映画では、ペンシルバニア州の田舎が舞台で、アミッシュの母子が自給自足の生活をしている。どちらの映画でも朝の搾乳の場面が印象的だ。ジョン・ブックは刑事だが、複雑な理由で当局に追われ、母子のところで匿ってもらうことになる。この映画の終わりで主人公が都会のフィラデルフィアに戻るために、母子に別れを告げる場面を「シェーン」みたいだとコメントした友人がいる。これが面白い。「遥かなる山の呼び声」は映画「シェーン」のテーマ曲の題名だ。ハリソン・フォード演じる刑事ジョン・ブックは違う世界へと戻って行ってしまった。「遥かなる山の呼び声」の健さんも、網走で服役するために母子を残して去って行く。どちらも「シェーン」と共通だ。


健さんの映画では追いかけて来たヒロインが黄色いハンカチを渡して、将来のハッピーエンドを観客に予想させる。山田監督はここで自分の作品である「幸福の黄色いハンカチ」を観客に思い出させる。それで、もう一つ別の映画との共通点にも気がついた。2013年にケイト・ウインスレットがヒロインを演じた「とらわれて夏」(ジェイソン・ライトマン監督)だ。この映画でもジョシュ・ブローリン演じる逃走中の男と母子の交流が描かれている。この二人がやがて気が合い、ダンスに興ずるところは「刑事ジョン・ブック」で夜中にハリソン・フォードとケリー・マクギリスがラジオの歌に合わせてダンスを踊る名場面を思い出させる。


「事情があって追われている男」と「けなげに生きる母子」の心のふれあいというのは、洋の東西を問わず、人気のテーマだ。


2015年2月2日月曜日

五藤利弘監督 短編映画「雪の中のしろうさぎ」 2016年2月

2016年2月の富士山・河口湖映画祭でこの短編を観る機会があった。新潟県十日町市を舞台にした30分ほどの小品だ。ヒロインを演じた石橋杏奈が雪明りの道を歩く場面、道端の小さな棚にともるロウソクの灯り。終盤の雪原いっぱいに広がるロウソクの光の海が印象的だった。以前にDVDで観ているのだがスクリーンで初めて観て、あらためて映像の美しさが印象に残った。第3回沖縄国際映画祭に出品された地域発信型映画として制作されたそうがだが、ロケ地となった雪の十日町の美しさが伝わってくる。

五藤監督の「ゆめのかよいじ」 (2013年) に主演した石橋杏奈のプロモーションビデオとも言えそうだ。吉本興業の製作で、フットボールアワーの岩尾望主演のご当地紹介映画なので「ちんころ」(しんこ細工)、しんこもち、雪景色、雁木など十日町市の風物も紹介されている。世界的に有名なアーティストが地域振興のために雪深い十日町市に招かれてやってくるという設定で、裸の王様のパロディ風に話が始まる。やがて主人公の正体がばれて窮地に立たされてからの展開が面白い。

真っ白な雪の中で「しろうさぎ」は見えるだろうか? 見えない「しろうさぎ」は存在しているのか? この短編をDVDで観たのが真実かペテンかが騒がれたSTAP騒動の頃だったので共通するものを感じた。紅い目玉を入れて観る側の気を引いて、売り物にしたいと考えた時点で、真実がウソに変質することもあるかも知れない。石橋杏奈演じるヒロインへの淡い想いが、かろうじて主人公を真実の側に踏み止まらせ、小さな奇跡が起きる。誰かへの想いや、自分を信じてくれる人の気持ちに応えたいという想いがそういう境界での道標になってくれるということはありそうな気がする。