2017年10月16日月曜日

五藤利弘監督「レミングスの夏」 乱歩賞作家の原作はどう映画化されたのか?

昨年の夏に撮影された五藤利弘監督の「レミングスの夏」の本格公開が始まりました。今月初めの渋谷公開、取手市公開に続き、名古屋、長岡、広島、大阪、横浜、函館など各地で上映予定です。この作品の主要なロケ地でもある取手市での上映を観てきました。長岡市出身の五藤監督の代表作である「ゆめのかよいじ」と「モノクロームの少女」は、物語の構造としては怪談映画に近い。こちらの岸とあちらの岸の境界で強い想いを抱き続けて浮遊する者たちの物語です。抒情的な映像を駆使しながら、物語としては情念にこだわる作風の五藤監督が江戸川乱歩賞作家である竹吉優輔氏のミステリー作品を映画化するという話を聞いた時には、どういう作品になるのかと楽しみでした。映画の冒頭場面で利根川がゆったりと流れています。物語の前半は中学生の少年少女たちによる夏休み合宿物語のような形で進行します。大河の両岸をつなぐものとして何度も鉄橋の場面が登場します。

この川の向こうには6年前の事件の被害者の母が住む施設があります。その事件で、少年法に守られて野放しされたままの加害者を許せない主人公は、復讐を誓い、綿密な計画を立てます。不条理にも逝ってしまった被害者の少女の姿が心をよぎるたびに、普通の少年であるはずの主人公の心象風景が一変する様子が夏休みの少年少女映画のような映像から、重く暗い映像への切り替えにも表れています。この光と闇の世界の対比はこれまでの五藤作品とも通底するものです。事件の真相を探る刑事が小堀の渡し場から向こう岸へ向かう船の場面も印象的でした。原作ほどにこの刑事の「父親イメージ」は明示されていませんが、主人公の孤独な少年が疑似家族の幻想を追い求める姿が、この物語の根底にあります。

わが子を6年前に失い半ば狂った母は刑事につぶやきます。「みんないた。あの子だけがいない」。犯人が処罰されないまま、誰の傷も癒えることがない宙ぶらりんの状態を何とかしたい。主人公の少年は仲間の力を借りて長い時間をかけて練り上げた計画を実行に移します。それは新天地を目指す旅のようなものでしょう。人質として選ばれた少女が熱中症で死にかけてからこの作品は急展開します。死の淵から生還した少女がかつて失われた少年少女たちの輪を構成する者へと変わります。それを象徴するような花火の場面が印象的でした。複雑な伏線が張り巡らされているので、原作を読んでからこの作品をもう一度観ると新たな発見がありそうです。きちんと送ることのできなかった被害者に三途の川を渡り切らせたい。そのことによって境界領域で浮遊する人々をこちらの岸に引き戻したい。そういう祈りに満ちた映画になりました。