2016年12月14日水曜日

スタンリー・キューブリック監督 「現金に体を張れ」

すぐ近所に「映画館」という酒と珈琲のお店がある。月例で「鎌倉・夜学 シネマ」という会員制映画講座が開催されている。ジャズの夕べも開かれることがある。昨日、夕飯を家で済ませて午後7時からの上映会に参加させていただいた。マスターが「満席なんてことはないから当日で大丈夫」ということだったので、真に受けて行ったらほぼ満席だった。上映作品はスタンリー・キューブリックの「現金に体を張れ」。大混雑でカウンターに座っての鑑賞したが、モノクロの画面はよく見えた。最後の場面の奇想天外さと映像に思わず「おおお!!」と叫んでいた。久々に映画を観て興奮した。これはすごい。

キューブリック監督のこの映画は1956年に公開され映画人たちに新しい才能の登場を認めさせた作品だそうだ。原題が「the Killing」とあるように後半は多くの死が描かれる。競馬場の金庫襲撃に加担する仲間たちのそれぞれの人物像と生活が簡潔ながらよくわかる。悪い奴らがたくさん出てくる。淡々とした記録映画のようなナレーションにも引き込まれた。どこか今村昌平監督の「復習するは我にあり」と共通しするものを感じた。



 

俳優柄本明さんのトーク 浄智寺「長屋紳士録」上映会

12月8日に湘南遊泳座主催による「みんなの小津会」というイベントがあり、その一部として浄智寺で小津安二郎監督「長屋紳士録」が上映された。上映後に俳優柄本明さんと小津組山内静夫プロデューサーの対談を聞いた。柄本さんはご自分の劇団「東京乾電池」で「長屋紳士録」を舞台化されている。小津さんのご家族もご一緒された。上映後のトークを最前列で聞いた。とても幸福な土曜日の午後。

笠智衆さんは他の小津作品でも、「寅さん」シリーズの御前様としてもなじみがある。飯田蝶子さんも「若大将シリーズ」の雄一のお祖母ちゃんとして知っている。「長屋紳士録」はそういう先入観を打ち破ってくれる。笠さんのうたうのぞきからくりの唄の場面が面白い。上映会ではゲストの柄本明さんのトークの他に、劇団「東京乾電池」で舞台化された「長屋紳士録」から同じ唄の場面も上映された。再演されたら観に行きたい。

柄本さんのトークはとても味わいがあった。ご自分の舞台の話とか出演映画の話から、相米慎二監督の思い出話となった。柄本さんの出演映画として「セーラー服と機関銃」と「二代目はクリスチャン」の予告篇も上映された。どちらも相米監督の作品。柄本さんの思い出話が「あいつは同じ歳だったのに初めから態度がでかいんだ。食えないもんだからその後結婚した女優さんに世話になっていて、撮影所にふらっとやってくる。その女優さんは「またゴキブリが来た」と言っていたんだよ」。「ある日その監督が映画を撮ったという話を聞いてね。それを観てびっくりしたね。才能があると思いましたよ。その女優さんもそれからは「うちの先生が」って言うようになったんだよね」。愛情に満ちた回顧話をお聞きした。



 

2016年10月29日土曜日

My Bakery in Brooklyn

倫敦から東京への帰りの機上で2016年の米映画を観た。ブルックリンのベーカリーを舞台にした恋物語。男女6人の3カップルのそれぞれの恋の展開は「フレンズ」、や「男女7人恋物語」を連想させる。3人のヒロインの爽やかさは「恋人たちの予感」のメグ・ライアンが3人いる感じ。言葉が話せる魔法の薬は「月の輝く夜に」の雰囲気。これそのうち東京でヒットしそう。
 
http://www.movienco.co.uk/trailers/my-bakery-in-brooklyn-official-trailer/

2016年9月30日金曜日

Nosir Saidov 「トゥルー・ヌーン」 タジキスタンの国境をめぐる物語

今月の後半から「中央アジア+日本」対話という政府と国際交流基金と3大学(東京外大、東大、筑波大)の共催による大きなイベントの一環として中央アジアミニ映画祭が開かれている。四谷三丁目の国際交流基金まで出かけて、「トゥルー・ヌーン」というタジク映画を観てきた。

タジキスタンは旧ソ連から1991年に独立した中央アジアの山国だ。東で中国、西でウズベキスタン、北でキルギスタン、南でアフガニスタンに面した内陸国である。わたしは1999年から2004年までウズベクの首都タシケントに駐在していたが、このときにたタシケントから車で一時間半ほどでたどりつけるタジキスタンの中堅都市フジャント周辺に位置するプロジェクトも責任範囲だったので何度も訪れる機会があった。首都であるドシャンベまでは険しい山越え道路があるが、不便なのでフジャントから飛行機で訪れている。この国まで独立直後の1992年から1997年まで内戦状態にあった。旧ソ連以来の指導部であった共産党系の政府と南側のイスラム系の野党勢力が対立した。国連の調停をへて停戦合意に至った後でも、不安的な状態は続いた。筑波大学の秋野豊先生が国連勤務中に武装強盗グループに襲われ殉職されたのは1998年のことだ。

以上のような背景を知ってからこの映画を見るといろいろなことを考えさせられる。映画の主人公であるロシア人エンジニアはタジキスタンの小さな村の気象観測所を任されている。かつては数名いたはずの観測所も、補充がないので本部派遣職員としては一人だけになっている。彼のアシスタントとして気象観測を手伝っているのが村の娘さんだ。映画の題名となっている気象条件について語り合う場面でこの映画は始まる。この美しい娘は谷間の隣村の若者と結婚する日も近い。村の人々や生活がユーモラスに描かれて心温まる物語が展開する。

ある日、隣村との境に兵士たちがやってきて鉄条網でフェンスを建設すると、幸せな谷間の村の物語は急展開する。谷間の小さな村は単独ですべてがまかなえるわけではない。病院も、学校も隣村まで行かなければ困ったことになる。この映画の中では明示されていないが、人々の服装からみるとこの小さな村はタジク人の多い村で、お隣はウズベク人の村のようだ。白いキルギスのフェルト帽をかぶった人たちと、黒い紙でできているウズベク帽をかぶった人たちなどで見分けがつく。地図を見ればすぐわかるがタジキスタンの北部はフェルガナ盆地に位置していて、国境線が複雑だ。住んでいる人々の地域だけを丸く囲ったような飛び地(enclaves)も存在している。

これは旧ソ連でスターリンの時代に策定された国境線だ。有力地域だったフェルガナ地方が一つにまとまって独立を目指すことを防ぐための分断政策と言われている。それでも旧ソ連の時代には自治共和国の間での人々の往来などはかなり自由だったことが、この映画でも描かれている。この状況が1991年に中央アジア各国が独立を果たすと激変する。これまでは政治的な理由での名目上の存在でしかなかった地図上の線が、本物の国境として鉄条網に置き換えられた。この映画で描かれているのはそういう実際に起きた状況であり、架空物語ではない。

年老いて故郷のロシアの家族の元に帰ることを夢見ていた心優しいエンジニアは、降ってわいたような鉄条網の国境とその周辺に埋められた地雷への対策を講じる。幼い頃から自分を手伝ってくれて、今はわが子のようにも思うようになった娘を無事に隣村に嫁がせたいと願う。彼の願いは叶うが、それには大きな代償を伴うことになる。この映画はタジキスタンが独立して以来18年経った2009年に初めて公開された劇場用映画だそうである。それだけの美しさと気品に満ちた映画に感動した。



 

2016年9月29日木曜日

Aktan Arym Kubat 「明りを灯す人」 キルギスの物語


今月の後半から「中央アジア+日本」対話という政府と国際交流基金と3大学(東京外大、東大、筑波大)の共催による大きなイベントの一環として中央アジアミニ映画祭が開かれている。四谷三丁目の国際交流基金まで出かけて、「明りを灯す人」というキルギス映画を観てきた。この邦題は「電気屋さん」を示す原題に近い。この映画の題名は「The Light Thief」と英訳されている。「電気泥棒」ということになる。

わたしがこの国に関わったのは旧ソ連崩壊後に独立国となったキルギス共和国のような国の再編を支援する組織で働いていたからだ。わたしの所属したのが電力事業チームだったので、この映画を観始めた時は居心地が悪くなった。電気は目に見えないので無駄使いされたり、盗まれたりしやすいが、財物だ。電気を作る発電所や送配電線の寿命は数十年にわたるので、コスト意識を欠く結果になりやすい。しかし電気を供給する設備は確実に老朽化する。きちんと減価償却費を積み立てて、やがて必要となる修繕や建て替え工事に備えないと大変なことになる。その為に電気使用量をメーターで計り、それに見合った料金を利用者から徴収するのは電気事業の鉄則だ。

電気事業の常識にこの映画の主人公は挑戦するが、「盗電の補助」がばれて逮捕される。彼は「払えない人を助けただけだ」と主張する。彼をかばう妻も「なんでこの人を捕まえるんだ。捕まえるなら本当に悪いことをしている奴らにしろ」と叫ぶ。この映画が2010年の作品であることが象徴的だった。電気、ガス、水道など公共料金がきちんとコスト回収されず公益事業の経営が悪化し、通りを歩けば盗電のための架線が目立つのは旧ソ連から独立した国々には共通した状況だ。この国は旧ソ連が崩壊した1991年に独立した。旧ソ連の支配を逃れ、山と湖の美しいこの国は農業と観光の国として栄えてほしいところだが、現実には今でも貧しい国のままだ。山岳地帯の厳しさがピークとなった2005年の3月に人々の不満は爆発し、初代のアカエフ政権は倒れた。この革命前夜にデモに加わる人々の姿が映画に登場する。この革命が政変の形で2010年に繰り返されたきっかけとなったのがバキエフ政権の発表した公共料金の値上げであったことはまだ記憶に新しい。


この映画の冒頭部分に「キョクボル」という伝統競技の風景が登場する。馬上ラグビーと英訳されるこの競技は、狩猟民族の伝統競技だけあって野蛮だ。ボールの代わりに使われるのヤギの死体である。わたしは90年代後半にこの国に何度となく出張し、2004年から3年ほどこの国で暮らしたがこの競技をまだ見たことがなかった。この国の草原も山脈も映画に登場するので、牧歌的な風景だ。この映画は様々なエピソードを交えながら、時折りは笑いを誘い、家族の風景があり、友情が描かれている。しみじみとした映画なのかと思って観ていた。金には縁がないが幸せな生活の感じが前半には漂っている。映画の後半になって雰囲気が変わってくる。

安い田舎の土地を買い占めて、外国資本家(中国)と手を結んで一儲けを試みる新興の金持ちがいる。このボスに気に入られた電気工の羽振りが突然良くなる。苦労をかけていた妻に得意そうにドル札の入った封筒を渡す場面も面白い。この若い成金のボスを見ていると2010年に起きた政変のことを思い出さずにはいられなかった。2005年の革命のヒーローであったバキエフは大統領になったが2010年の政変で国外に逃亡した。バキエフ自身は建前上クリーンなイメージを演出していたが、その息子は「開発」の名目で様々な事業を展開し、その利益を自分たちのグループに吸い上げていた。

成金のボスが中国の投資家を饗応しようとする宴席の場面が圧巻だ。電気工がほのかな憧れを抱いていたキルギス娘がゲストへの生贄として登場する場面がクライマックスとなる。許しがたいと激高した電気工はこの宴席を滅茶苦茶にする。この電気工のおせっかいを迷惑がるのが、「助けられた」はずのキルギス娘だったのが哀しい。この娘には貧しい生活の中で家族を支えなければならない現実がある。成金のボスに逆らった電気工が、リンチを受けて馬上の男たちに痛めつけられる場面と、ヤギの死体を追い回すキョクボルの場面がパラレルになっている。湖に捨てられた電気工が生きているのか死んでいるのかラストの場面は明示を避ける。

美しい草原の大地が成金たちによって蹂躙されていることへの静かな抗議の映画なのだろう。主人公は最後に自分の理想の中のキルギス娘を守るために死んでいったのかも知れない。彼の夢想の中の娘がキルギスの大地の比喩であることは間違いなさそうだ。こういう静かな抗議の映画が2005年の革命と2010年の政変を経験したキルギスで作られたことが凄い。
 

2016年9月26日月曜日

Sadyk Sher-Niyaz「山嶺の女王 クルマンジャン」 キルギスタンの歴史物語

2014年に製作された時からフェースブックなどで話題になっていたキルギス映画が調布市にある東京外語大キャンパスで上映されていたので観ることができた。「中央アジア+日本」対話という政府と国際交流基金と3大学(東京外大、東大、筑波大)の共催による大きなイベントの一環として中央アジアミニ映画祭が開かれているからだ。9月最後の週には駒場キャンパスで5本の映画が5夜にわたって上映されるのでまだ数本を観に行く予定にしている。

調布で観た「山嶺の女王 クルマンジャン」は面白い映画だった。人それぞれだろうが、キルギスでの3年を含めて中央アジアには2回駐在したので、まずはキルギスの人々の様子、草原、山脈がどういう映像になっているのかが最大の興味だった。この期待は十分に満たされた。草の海に白く浮かぶ天幕(ユルタ)、人馬が一体となって疾走する場面、砂煙を上げながらの渓谷での戦闘場面のどれもが圧倒的に美しい。2000年の名作「グリーン・デスティニー (Crouching Tiger, Hidden Dragon)」(中国、台湾、香港、米国合作)はとても好きな映画だが、これに匹敵するだけの映像美だ。

この映画で心に残るのは自然の映像ばかりではない。詩情に満ちた佳作だ。愛する者たちとの別れ、山がちの国で移動式住居での暮らし、圧倒的な勢いの他国軍が攻め入って来る民族の運命のどれもが胸に迫る。遠路はるばるやってきた客人たちを天幕に招き、馬乳酒を勧めるあたりで、どうしても井上靖の小説「蒼き狼」の世界を連想してしまった。映画の上映前にキルギスという国を紹介してくれたキルギス女性が、キルギスと日本の共通点を説明するのに「どちらもモンゴル系なので、蒙古斑がある」と語ったことにも影響されたのだろう。

この映画のヒロインを4人の女優達が世代ごとに演じた。幼児期のクルマンジャンは男の子を望む両親に、占い師のもとに連れて行かれ「この子は男の子10人に匹敵する」という奇妙な予言を受ける。そのことも影響したのかヒロインは気丈な娘に育つ。親の決めた許婚者のもとに嫁がされることになったにもかかわらず、予想外の事件が起こり、実家に逃げ帰るエピソードが興味深い。この国には悪名高い「誘拐婚」という因習がある。数年前に日本人カメラマンが写真集を出し、センセーショナルな話題となった記憶はまだ新しい。この風習が複雑なのは「暴力オンリーの誘拐婚」というのは例が少ないらしいことだ。それよりはサプライズで「誘拐」された後で、双方の親族を巻き込んだ形での「説得」が行われるケースが多い。だからOKなのではない。むしろ逆だ。暴力そのものよりも、女性が自分の人生の選択をする権利を共同体がよってたかって軽んじていることがこの因習の本質であり、より根が深いように思われる。この映画のヒロインであるクルマンジャンはそういう暴力と社会的圧力の両方を拒んで実家に戻る。


この映画でもう一つ描かれているのはキルギスと隣国であるコーカンドハン国との確執だ。コーカンドは現在もウズベキスタンのフェルガナ地方に存在する中規模の街だ。19世紀の時点ではウズベキスタンは西のヒヴァハン国、中央のブハラハン国、東のフェルガナ渓谷にあるコーカンドハン国に分かれていた。コーカンドからウズベク・キルギス国境はほぼ100㎞くらいの距離だ。2010年4月にキルギスで大規模な政変が起きると、この国の南部の治安が悪化し6月には再び暴動が起きた。この時の要因の一つがキルギス系とウズベク系の住民たちの対立だった。当時ビシュケクに駐在していたので忘れがたい記憶だ。この映画を観ると、こうした民族間の緊張には歴史的な経緯があったことがわかる。

この映画は135分と長いので、話の筋が終盤になるとぼやけてくる感じもする。観客は女性指導者となったクルマンジャンが英雄的な活躍をする場面を期待する。この映画の中盤では確かにそういう愛国映画の雰囲気がいっぱいだ。ところが19世紀の後半になってロシアが中央アジア支配を強め、隣接したいくつかのハン国を滅ぼしてしまうと、すでに老境を迎えつつあるこの女性指導者はロシアへの忍従を選ぶ。ロシアの将軍の恣意的な裁きで彼女の息子が処刑されるのを見守る場面がクライマックスとなる。7世紀には唐、13世紀にはモンゴル、19世紀にはコーカンドハン国など強国に支配されてきた歴史の中で、民族の誇りと存続を天秤にかける苦悩が描かれる。結果として1991年に旧ソ連が崩壊した時にこの国は独立を果たしている。


2016年8月24日水曜日

弐湖の國映画祭 松村克弥監督「天心」上映後の交流会とロケ地めぐりツアー(2016年8月20、21日)

竹中直人が岡倉天心、中村獅童が横山大観、平山浩行が菱田春草を演じた映画「天心」という映画があることを知ってこの2年くらい気にしていた。茨城県行方市で開催された弐湖の國映画祭で松村克弥監督の舞台トークを聞き、交流会でワインを飲みながらいくつか質問させていただき、翌日はロケ地めぐりで役者さんたちと演出をめぐってやりとりされた様子を聞かせていただいた。こんな贅沢な映画祭は珍しい。今年は上野の博物館で日本の洋画発展の功労者である黒田清輝の回顧展も観ていたので、この映画はとりわけ感じるものがあった。
 
江戸時代まで武家社会の権力者をパトロンとして発展してきた邦画界が明治の文明開化の波に飲み込まれそうになった混乱期が時代背景となっている。絵画の革新という目的をもって洋画の方向を目指す人たちもいれば、邦画そのものの革新をめざす人たちもいる。そういう時代にお雇い外人教師のフェノロサに啓発された岡倉天心がいて、その天心の才能を慕う邦画界の綺羅星たちが五浦に結集する。まるで水滸伝みたいな話に引き込まれた
 
日本美術院を追われた岡倉天心を慕う横山大観が「屈原」の絵を描いたことは聞き知っていた。横山大観の描いた「屈原」という絵に思い入れがあることについてはしばらく前にブログに書いている。この映画で狩野芳崖をフェノロサ先生と岡倉天心が訪ねる場面、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山の4人の高弟とその家族を引き連れて天心先生が茨城県五浦にこもる場面、哲学者九鬼周造にゆかりのある場面など印象に残った。映画祭初日の夕べの交流会でこの素晴らしいイベントを主催された湖魔女委員会の皆さんと参加人たちとで盛り上がった。

映画祭2日目のロケ地めぐりツアーも面白かった。映画の登場人物である横山大観、下村観山、木村武山にゆかりのある石碑がある西蓮寺を訪れた。当初参加を予定されていた五藤利弘監督の「花蓮~かれん~」のロケ地でもある。この映画のワンシーンとして登場した木の洞で松村監督他の皆さんが三浦貴大が演じたレンコン農家の青年のポーズを真似て記念撮影をした。

その次に行方市の大塲家郷士屋敷を訪れた。中村獅童が演じた横山大観の家として映画に登場した家だ。東京美術学校を追われた天心先生を楚の詩人・宰相であった屈原に見立てた大観の絵が登場した部屋を観た後で、大観が家族と食事をしていた場面に使われた小部屋も特別に見せていただくことができた。熱の入った松村監督が身振り手振りで演出当時の様子を説明された。すごい迫力だった。






 
 

 

弐湖の國映画祭初日 五藤利弘監督「花蓮~かれん~」上映 (2016年8月20日)

茨城県行方市で弐湖の國映画祭が8月20日と21日に開催されたので友人の青木君と出かけた。五藤利弘監督「花蓮~かれん~」が上映されたので観に行った。時間に余裕をもって出かけたつもりだったが豪雨の中のドライブとなった。五藤利弘監督の舞台トークに間に合わなかったのは残念だった。五藤監督は新作の編集作業のためにすぐ帰られたが、その前に「花蓮~かれん~」でヒロインのお祖父さんの役を演じた飯島大介さんにもご挨拶して、記念撮影に納まることができた。

1日目が終わっての夕方の交流会でAさんという方と同じテーブルになって話をしているとこの日上映された五藤利弘監督「花蓮~かれん~」にとても詳しい。それもそのはず原作を読んで映画化に奔走された仕掛け人の方だった。この方もわたしがブログに書いたいくつかのノートを読んでいらしたので話が弾んだ。その晩の湖魔女委員会の皆さんとの慰労会でも一緒に盛り上がった。原作と映画の違いについていくつか重要な点について示唆をいただいた。これまでカレンと陽子の役割についてFB友達のTさんと意見を戦わせたことがあるが、映画化仕掛け人と脚本を担当された五藤監督の間でも見解の相違があったことを知って面白かった。この映画が好きな人はみなそれぞれに「自分の花蓮物語」を作り上げようと試みているのだと感じた。


この集合写真には監督の新作「レミングスの夏」ののぼりと刷り上がったばかりの映画チラシが写っている。この最新のチラシの裏ページには7月の取手の現場にお手伝いに行き撮影したばかりのスチール写真が17枚使われているのでうれしい。スクリーンで映画「花蓮~かれん~」を再度観たこと、交流会で「花蓮」映画化に奔走された方から話が聞けたこと、翌日に主要なロケ地である西蓮寺を再訪できたこと、数名の「花蓮」ファンの人たちと感想を交換したこと等々で実りの多い行方市訪問だった。

 

 

2016年8月14日日曜日

魂が浮遊する世界 五藤利弘監督映画「ゆめのかよいじ」と栃尾の石積み

須永朝彦著「日本幻想文学史」(平凡社ライブラリー)という本の中に「夢の通い路ー王朝物語の再生」という章がある。大正期以降に芥川、谷崎、三島など数多くの作家が古典である様々な王朝物語に取材する形で作品を書いていることが紹介されている。「夢」を媒介とした耽美的な世界であり、「生霊が跋扈する蠱惑的」な世界でもある。五藤監督の映画「ゆめのかよいじ」は新潟県長岡市にある栃尾の風習、「石積み」を背景にした作品だが、ローカル色豊かながら古典の伝統をきちんと踏まえた作品でもある。長岡市の栃尾を流れる刈谷田川の河原で平たい石を卒塔婆のように積みあげるのが「石積み」だ。この川はこちら岸の世界とあちら岸の世界を隔てるものの象徴だ。わたしは刈谷田川のほとりで生まれたこともあるが、この映画にはまってしまった。

栃尾の石積みの風習は8月7日に行われる。死者が此方の岸の世界から彼岸の世界へと向かう時に、親より早く亡くなった子供たちの霊は三途の川を渡ることを許されずに石を積む作業を命じられる。子供たちはやがて救済されるまで死者でも生者でもない状態で薄明の世界を浮遊するのだろうか。ウィキペディアには以下のような説明がある。


「三途川の賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが親の供養のために積み石(ケアン)による塔の完成をめざすが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済される。」

浮遊する子供たちの霊がお盆で親たちの住む此の世界に戻っている間に、石積みの作業を肩代わりするのが栃尾の行事の意味だろう。映画「ゆめのかよいじ」 は浮遊する人と現在を生きている人との交流をテーマとして、長岡市の山河を舞台に撮影された。緑の山河が繰り返し出てくる美しい映像によってこの「彼岸」のイメージが見事に表現されている。「人を想う気持ち」というのはラジオの周波数のようなものだ。この映画のヒロインは亡くなった父と過ごした時間を思い出すたびに父の好きだったピアノの曲を想い出す。このヒロインからとても強く発信されている「想い」が60年前のある出来事につながって行く物語だ。いろいろ考えながらこの映画を見直すとまた違った印象を持つことになりそうだ。

 

2016年3月5日土曜日

プレ長岡アジア映画祭イベントの御成功をお祈りします

長岡アジア映画祭実行委員会の菅野さんが地元にご縁のある様々な映画を選んで紹介されていることにいつも共感している。今回のイベントでは長岡出身の五藤利弘監督の映画「ゆめはるか」上映と舞台トークがあるそうなので観に行く予定にしている。五藤監督の脚本・監督により今年秋に公開予定の「レミングスの夏」の製作発表がいくつかの新聞で報じられたばかりなのでその話を聞かせていただくのも楽しみだ。もう一人長岡出身の東條政利監督が関わっている映画が上映されるのも楽しみにしている。東條監督は母校の同窓生の方で去年の暮れにお会いした。現在、救世軍の山室軍平という人をモデルにした映画を製作中の人だ。そのプロデューサーでもある山田火砂子監督はご自身の作品「筆子・その愛 天使のピアノ」を今回のイベントで3月5日に上映し、興業収入を東條監督の新作の製作費に充てるそうだ。長岡ご出身の二人の監督のますますのご活躍を応援したい。

2014年の夏に東京で五藤監督にお会いして以来、五藤監督作品のほとんどを観させていただき、感想をブログに書いてきた。故郷への想いと今を生きていくことの間に佇む人々の気持ちを描く作風が気に入っている。3月6日に上映される映画「ゆめはるか」では、同じような病気を抱える少女が3人登場し、それぞれに感情移入する形でヒロインが「死の淵めぐり」を経験する様子が描かれている。私ごとながら、2011年の東北大地震と津波の年に病気で死線を彷徨ったつれあいのことが重なって、この映画を冷静に眺めるのに苦労した。中央アジアにあるキルギスタンという国での駐在勤務を放りだして、半年ほど病人に付き添った経験を思い出したからだ。その頃に病気についての本を読み漁った。どういう症例も千差万別で、死の淵から生還するかどうかは偶然の結果にすぎないと思うようになった。

昨年退職して帰国してから、五藤監督の撮影現場や、霞ケ浦、富士山・河口湖での映画祭などに同行させていただいてブログに記事を書き続けている。人を想うことがきっかけとなって、こちら側と向こう側の世界の境界領域に彷徨いこむ人たちの物語が気になるからだ。五藤監督は子供の頃に黒澤映画に感動して映画の世界を志したそうだ。黒澤監督の代表作の一つである「羅生門」は芥川龍之介の「藪の中」を題材とした作品だが、事件の真相をめぐってこちら側の世界に残された者と死者たちとの間で交わされるコミュニケーションについての映画でもある。ラフカディオ・ハーンの「怪談」を映画化した小林正樹監督の作品でも、死者と生者の間のコミュニケーションが描かれている。溝口健二監督の「雨月物語」も、強い思いを抱き続けて漂う人々の心が描かれた。五藤監督が栃尾の棚田の風景を写した「モノクロームの少女」も、刈谷田川の石積みを登場させた「ゆめのかよいじ」も、亡父を偲んで自分のルーツ探しをするハーフの女性を描いた「花蓮~かれん~」も、今回上映の「ゆめはるか」もその点では同じ系列の作品である。

映画「ゆめのかよいじ」で印象に残るのが長岡市の栃尾を流れる刈谷田川の河原で平たい石を卒塔婆のように積みあげる「石積み」の風景だ。石積みの風習は三途の川の伝説として東日本に広く伝わっている。親より早く死んだ子は向こう岸に渡らせてもらえず、河原で石を積む。そういう子供たちの霊がお盆で親元に戻る間、石積みの義務を忘れてゆっくりできるように、地元の人が代わりに石を積むのである。わたしは栃尾で生まれ、隣の見附で育ち、長岡の学校に通ったので刈谷田川には思い入れがある。母の生家があったのは映画の風景となった場所より下流の、見附との境に位置する鄙びた村である。そこに「灯篭流し」という風習がある。お盆に彼岸からやってくる祖霊を家にお迎えした後で、迷わずに帰っていただくために灯篭を点けて川に流す。「ゆめのかよいじ」はそういう土地の雰囲気を伝えている。生まれた土地だったり、大切な人をしのぶ場所だったりという理由で、ある風景が自分にとって特別な意味を持つことがある。そういう場所がスクリーンに登場し、風の吹いている感じや色彩のイメージを目にすることが出来るのは素敵なことだと思う。そういう映画を五藤監督に撮り続けてほしいのでこれからも応援していこうと思っている。

2016年2月29日月曜日

リチャード・リンクレータ―監督 「Boyhood」

Wowowでリチャード・リンクレーター監督の2014年公開の映画を観た。英語の原題は「Boyhood」だが邦訳だと「6歳のぼくが、大人になるまで」という長い題名になっている。好きな俳優のイーサン・ホークが出ているのでもしやと思ったら「ビフォア3部作」と同じ監督の映画だった。これは文句なしに面白かった。

リンクレーター監督がビフォア三部作の第一作Before Sunriseを公開したのは1995年。この映画を初めて観た時にテンポの速い会話劇がとても新鮮だった。
シリーズ第二作のBefore Sunsetの公開が2004年でこれは第一作のファンには嬉しかった。シリーズ第三作のBefore Midnight の公開が2013年のことだ。

Boyhoodの少年を演じたエラー・コルトレーンが生まれたのが1994年。彼が6歳になったのが2000年で、18歳になったのが2012年である。この映画では主人公の少年を含む家族4人のキャストが12年間にわたって変わらないまま撮影され、2014年に完成し公開された。当初は「12年プロジェクト」と呼ばれていたそうだ。以上の全作品が同監督による脚本で、イーサン・ホークが出演していることが興味深い。リンクレーター監督は2015年2月の英紙ガーディアンのインタビューに答えてBoyhoodについてもビフォア3部作のような形での続編の可能性があることを示唆している。楽しみだ。

2016年2月18日木曜日

五藤利弘監督と一緒の旅 モノクロームの栃尾風景

五藤利弘監督の短編作品「想い出はモノクローム」が、今週末の富士・吉田映画祭で上映されるので観に行く予定にしている。同郷の五藤監督も栃尾出身の青木君も一緒である。これまでブログで五藤監督の栃尾3部作である「モノクロームの少女」、「ゆめのかよいじ」、「スターティング・オーヴァー」(上京篇)について感想を書いているが、この栃尾シリーズの序章とも言うべき作品なので五藤映画ファンにとっては重要な作品だ。

この短編が栃尾に縁のある人々の心に響くのは現実の街以上にリアルに郷里のイメージを喚起する力があるからなのだと思う。今週末の旅で栃尾の街角の風景を撮影していている間、この短編映画のことを思い出していた。この短編映画の台詞はかなり細部まで記憶している。海外用の字幕版作成をお手伝いした時に何度も観たからである。













五藤利弘監督 「ゆめのかよいじ」と「モノクロームの少女」 ロケ地巡りの旅 2016年2月

五藤利弘監督の映画「ゆめのかよいじ」と「モノクロームの少女」に出演された大桃美代子さんと映画のロケ地巡りの旅でご一緒させていただく機会があった。五藤監督と以前から栃尾の巣守神社裸押し合い祭りを観に行きたいですねという話をしていたら、大桃さんも参加されることになったわけである。五藤監督の強力なサポーターをされている栃尾の油揚げ「豆撰」さんの工場見学、映画ロケ地巡り、裸押し合い祭り、割烹旅館での打ち上げ、翌日の蕎麦打ち見学など盛りだくさんのイベントをご一緒させていただいた。

映画「ゆめのかよいじ」のDVDに大桃さんのサインをいただいた。大桃さんが巣守神社の抽選で引き当てた長岡市長杯の金杯で多田さんがご用意された秘蔵酒「一醸21」を飲ませていただいたのも忘れがたい思い出になった。大桃さんはとても気さくで素敵な人である。豆撰さんの工場見学の間にも質問しメモされている様子が印象的だったが、多忙なスケジュールの中で、今回の旅のことをすぐにブログにまとめられていたことにも感心した。同行された柴田カメラマン撮影の集合写真は解禁だそうなので掲載させていただきます。栃尾の風景他はわたしの撮影写真です。








2016年1月31日日曜日

魏徳聖監督 「海角7号」

2016年1月の台湾総統選挙の後で、朝日新聞の文化・文芸欄で、台湾で日本統治時代を評価する本の出版が増えていることについて触れた記事があった。その中で魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督の「海角7号」(2008年)という映画が紹介されていた。この映画には思い出がある。2011年に仕事で出張した時に台湾の方からお土産にとDVDをいただいて知った映画で、日台の友好を象徴するような作品だ。

日本の敗戦で台湾を去ることになる教師が、「小島友子」という日本名を持つ教え子と恋に落ちる。娘は駆け落ちしてでも一緒になろうとするが、引き揚げの混乱の中で男はこの恋を諦める。その言い訳と心境について娘に7通の手紙を書く。しかしその手紙は男の死後まで投函されることはなかった。その7通の手紙の入った日本の文箱が、長い時間が流れた後で今は80歳近いかつての娘のもとに届く物語を、現代の台湾人青年と日本人のヒロインとの恋と並行する形で展開させている。とてもロマンチックな大人の童話である。この作品は台湾で公開されると大ヒットしたそうだ。俳優も挿入されている音楽も感じが良い。

この出張の頃に公開されてポスターが目立った「セデック・パレ」(2011年)という映画が同じ監督の作品で、やはり大ヒットしていることを紹介しないのは片手落ちかも知れない。こちらは日本による台湾統治下で起きた抗日蜂起を描いた作品だ。ウェブで見つけた「見ておきたい台湾映画」リストには両方の作品が紹介されている。台湾と中国本土の間に緊張感が存在する一方で、それがそのまま親日につながるわけでもないことにも注意する必要があるだろう。人々の想いを描いた作品は複雑なのが当たり前だ。それは「霧社事件」を題材とする「セデック・パレ」が必ずしも単純な抗日映画ではないことと共通している。



魏徳聖監督 「賽徳克巴莱(セデック・バレ)」

2011年の秋に、台湾を訪れる機会があった。台北で開かれた会議に出席するのが目的だった。台北の市内のあちこちで「セデック・バレ」という映画のポスターが目についた。1930 年のセデック族による抵抗が日本軍によって鎮圧された「霧社事件」を描いた魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督の作品だった。日本には2013年の4月に公開されている。ずーと気になっていた映画だったが、ようやくDVDで観た。

映画の題名の「セデック・バレ」は真の人という意味を持つ。「第一部 太陽旗」、「第二部 虹の橋」の合計は4時間半に及ぶ。第一部では1894年の日清戦争の後で、日本の植民地となった台湾における日本の支配の様子と、いくつかの誘因となるエピソードが重なって、やがてセデック族による蜂起が起こるところまでが描かれている。第二部では、鎮圧に手を焼いた日本軍がセデック族の対立部族を巻き込んでの反撃と鎮圧が描かれている。

日本による植民地統治を批判した政治的なメッセージ色の強い作品だろうかという予断を持っていたが、4時間半にわたる長い映画を見終えると、印象がかなり違うものになった。蜂起の場面と鎮圧の場面で大量の殺戮シーンが登場するのは事実だが、一貫してセデック・バレの頭目であるモーナ・ルダオとその指揮に従う部族の戦士たちと家族の誇りについての描写が続くので途中から外国映画のような気がしなくなった。こういう滅びゆく人々を描いた物語をどこかで観たような気がした。日本の戦国時代の城の攻防についての映画だったり、源平の合戦の物語であったり、故郷である長岡が越後戊辰戦争の敗戦で焼け跡になった故事などを連想しながら、この台湾映画を観ていた。

血気にはやる若者たちに、老いを迎える年齢となった頭目は語りかける。「蜂起すれば、全滅するぞ」。その頭目自身がとうとう蜂起を決意する。セデック族とそれに呼応した部族の総勢は300人程度。次第に人員と大型兵器を投入してくる日本の鎮圧軍にじりじりと追いつめられていく。投降を考え始めた若者たちに頭目は語りかける。「恐れるな。蜂起すれば死ぬことは最初からわかっていたはずだ。大切なのはどう死ぬかだ。」

この映画の第二部で描かれる深山のゲリラ戦では蜂起軍が徹底的に鎮圧軍を苦しめるが、史実によれば鎮圧段階での日本軍と警察側の死者は20数人程度で、セデック族の蜂起はあっけなく鎮圧されたそうだ。この映画は植民地支配時代の史実というよりも、それを越えて民族の誇りについての物語を描こうとしたのだろう。結果的に台湾映画でありながら、武士道を描いたような作品となった。この印象は映画を観てみないとわかりにくいと思う。


台湾の山地で狩りをして生きていたセデック族の人々は血の儀式として獲物の首を狩る。この部分が抗日蜂起の場面でも嫌というほど登場するので、血を見るのが苦手な人には勧められる映画ではない。不思議なくらいに観終わったあとの印象がどこか静まりかえった感じがする。この映画の基になっている「霧社事件」について司馬遼太郎が「台湾紀行」の中の「山人の怒り」という章で書いているのを見つけた。この台湾で起きた蜂起と明治初期の士族の反乱との共通性を指摘している。興味深い。