今月の後半から「中央アジア+日本」対話という政府と国際交流基金と3大学(東京外大、東大、筑波大)の共催による大きなイベントの一環として中央アジアミニ映画祭が開かれている。四谷三丁目の国際交流基金まで出かけて、「明りを灯す人」というキルギス映画を観てきた。この邦題は「電気屋さん」を示す原題に近い。この映画の題名は「The Light Thief」と英訳されている。「電気泥棒」ということになる。
わたしがこの国に関わったのは旧ソ連崩壊後に独立国となったキルギス共和国のような国の再編を支援する組織で働いていたからだ。わたしの所属したのが電力事業チームだったので、この映画を観始めた時は居心地が悪くなった。電気は目に見えないので無駄使いされたり、盗まれたりしやすいが、財物だ。電気を作る発電所や送配電線の寿命は数十年にわたるので、コスト意識を欠く結果になりやすい。しかし電気を供給する設備は確実に老朽化する。きちんと減価償却費を積み立てて、やがて必要となる修繕や建て替え工事に備えないと大変なことになる。その為に電気使用量をメーターで計り、それに見合った料金を利用者から徴収するのは電気事業の鉄則だ。
電気事業の常識にこの映画の主人公は挑戦するが、「盗電の補助」がばれて逮捕される。彼は「払えない人を助けただけだ」と主張する。彼をかばう妻も「なんでこの人を捕まえるんだ。捕まえるなら本当に悪いことをしている奴らにしろ」と叫ぶ。この映画が2010年の作品であることが象徴的だった。電気、ガス、水道など公共料金がきちんとコスト回収されず公益事業の経営が悪化し、通りを歩けば盗電のための架線が目立つのは旧ソ連から独立した国々には共通した状況だ。この国は旧ソ連が崩壊した1991年に独立した。旧ソ連の支配を逃れ、山と湖の美しいこの国は農業と観光の国として栄えてほしいところだが、現実には今でも貧しい国のままだ。山岳地帯の厳しさがピークとなった2005年の3月に人々の不満は爆発し、初代のアカエフ政権は倒れた。この革命前夜にデモに加わる人々の姿が映画に登場する。この革命が政変の形で2010年に繰り返されたきっかけとなったのがバキエフ政権の発表した公共料金の値上げであったことはまだ記憶に新しい。
この映画の冒頭部分に「キョクボル」という伝統競技の風景が登場する。馬上ラグビーと英訳されるこの競技は、狩猟民族の伝統競技だけあって野蛮だ。ボールの代わりに使われるのヤギの死体である。わたしは90年代後半にこの国に何度となく出張し、2004年から3年ほどこの国で暮らしたがこの競技をまだ見たことがなかった。この国の草原も山脈も映画に登場するので、牧歌的な風景だ。この映画は様々なエピソードを交えながら、時折りは笑いを誘い、家族の風景があり、友情が描かれている。しみじみとした映画なのかと思って観ていた。金には縁がないが幸せな生活の感じが前半には漂っている。映画の後半になって雰囲気が変わってくる。
安い田舎の土地を買い占めて、外国資本家(中国)と手を結んで一儲けを試みる新興の金持ちがいる。このボスに気に入られた電気工の羽振りが突然良くなる。苦労をかけていた妻に得意そうにドル札の入った封筒を渡す場面も面白い。この若い成金のボスを見ていると2010年に起きた政変のことを思い出さずにはいられなかった。2005年の革命のヒーローであったバキエフは大統領になったが2010年の政変で国外に逃亡した。バキエフ自身は建前上クリーンなイメージを演出していたが、その息子は「開発」の名目で様々な事業を展開し、その利益を自分たちのグループに吸い上げていた。
成金のボスが中国の投資家を饗応しようとする宴席の場面が圧巻だ。電気工がほのかな憧れを抱いていたキルギス娘がゲストへの生贄として登場する場面がクライマックスとなる。許しがたいと激高した電気工はこの宴席を滅茶苦茶にする。この電気工のおせっかいを迷惑がるのが、「助けられた」はずのキルギス娘だったのが哀しい。この娘には貧しい生活の中で家族を支えなければならない現実がある。成金のボスに逆らった電気工が、リンチを受けて馬上の男たちに痛めつけられる場面と、ヤギの死体を追い回すキョクボルの場面がパラレルになっている。湖に捨てられた電気工が生きているのか死んでいるのかラストの場面は明示を避ける。
美しい草原の大地が成金たちによって蹂躙されていることへの静かな抗議の映画なのだろう。主人公は最後に自分の理想の中のキルギス娘を守るために死んでいったのかも知れない。彼の夢想の中の娘がキルギスの大地の比喩であることは間違いなさそうだ。こういう静かな抗議の映画が2005年の革命と2010年の政変を経験したキルギスで作られたことが凄い。
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