2014年10月20日月曜日

五藤利弘監督 「ゆめのかよいじ」 刈谷田川の石積みの映画  2016年

2014年の秋から2015年にかけて郷里である新潟県長岡市出身の五藤利弘監督の作品が各地で公開された。10月に「愛こそはすべて」、11月に「花蓮~かれん~」、「スターティング・オーヴァー」、12月に「ゆめはるか」。2015年11月にはロケ地上映された「花蓮~かれん~」を霞ケ浦の畔にある行方市まで観に行く機会があった。この監督の作品で一番好きな作品「ゆめのかよいじ」(2013年公開)に主演した石橋杏奈の最近の活躍がめざましい。

映画「ゆめのかよいじ」で印象に残るのが長岡市の栃尾を流れる刈谷田川の河原で平たい石を卒塔婆のように積みあげる「石積み」が登場する映像だ。この川はこちら岸の世界とあちら岸の世界を隔てるものの象徴でもある。この石積みの風習は三途の川の伝説として東日本に広く伝わっているようだ。親より早く死んだ子が向こう岸に渡らせてもらえないのは親が来るまで待てということなのだろう。川原で石を積むことが義務つけられる。その早逝した子供たちの霊も、お盆には親元に戻ってくる。石積みの義務を忘れてゆっくりできるように、その子たちに代わって地元の人が石を積むのがこの風習の意味のようだ。哀しくてやさしい風習だ。

この映画は彼岸に住む人と現在を生きている人との交流をテーマにした物語を原作にして、長岡市の山河を舞台に撮影された。河原と栃尾の山の緑が繰り返し出てくる美しい映像にこの「彼岸」のイメージが見事に表現されている。「人を想う気持ち」というのはどこかラジオの周波数を連想させるものがある。この映画のヒロインは亡くなった父を慕う気持ちから「心が風邪をひきそう」になった高校生。父と過ごした時間を思い出すたびに父の好きだったピアノの曲が流れる。このヒロインからとても強く発信されている「想い」が60年前の出来事につながって行く物語になっている。


第二のヒロインともいうべきもう一人の少女が登場する。このヒロインの設定が石積みの風習と重なるようになっているのがこの映画の深いところだ。ここからはまったく個人的な感想になってしまうが、この少女の着ているセーラー服を見た時に言いようのない感情を覚えた。わたしは栃尾市 (現在は長岡市栃尾地区)で生まれ、隣の見附市で育ち、中学、高校と長岡市に通ったので、刈谷田川には深い思い入れがある。60年前と言えばわたしが生まれる少し前の頃だ。その頃わたしの母がまだ女学生だった頃の数葉の写真にはほとんど同じようなセーラー服姿が写っている。


この映画の舞台は刈谷田川の流れの中でもかなり山に近い。栃尾はその昔に景虎と名乗っていた上杉謙信が幼少時代を過ごした山城の城下町である。わたしの母の生家はずっと下流で隣の見附市との境になる鄙びた村だ。その村で「石積み」の風習を見たことはないが、「灯篭流し」という風習がある。お盆に彼岸からやってくる祖霊を家にお迎えした後で、途に迷わず帰っていただくために灯篭を点けて川に流す風習だ。刈谷田川の流域はそういう風に人々が祖先の霊を敬い、想いを寄せてきた土地である。この映画はそういう土地の持つ雰囲気を捉えている。

彼岸と此岸の境界で強い思いを抱き続けるものを描いた邦画の名作と言えば溝口健二監督の「雨月物語」(1953年)と小林正樹監督の「怪談」(1965年)がある。「浅茅が宿」で京に上った夫を待ち続けた新珠三千代演じる妻の想い。「耳無し芳一」で琵琶法師の奏でる音色に聞きほれて法師を迎えにくる丹波哲郎演じる武士の想い。そういう日本映画の伝統に脈々と流れる「想う力」という普遍的なテーマが若手の俳優さんたちを得て「ゆめのかよいじ」の中で表現されている。

五藤監督は他の作品「スターティング・オーバー」を作品のタイトルにしているくらいのビートルズマニアだが、この映画ではドビュッシーの「夢」というピアノ曲を登場させている。失われた人への想い、地震で失われた故郷の景観への想い、繊維の町として栄華を誇った栃尾が時を経て失ったものへの想い、戊辰戦争で敗走してきた長岡藩士たちが森立峠を越えて栃尾に入る時に、故郷を振り返って眺めた想い。失われたたくさんの夢に捧げられた鎮魂の映画である。映画の終盤に
多くの人々が被災した中越地震の場面を登場させたことも、川原に無数に石積みが見える冒頭の場面につながっている。


0 件のコメント:

コメントを投稿