鎌倉駅前の会場で山崎監督のトーク付きの上映会があり鑑賞。映像の美しさと緊張感が印象的だった。上映後トークの中で主演女優の毬谷友子さんが原作の矢代静一氏の娘さんであることを教わった。映画化にあたっては山崎監督の新解釈が混じっているそうだ。興味が募り、アマゾンで原作本をポチってみた。
原作を読んでみると宮城野という薄幸の女性の物語。30頁ほどの短い戯曲はヒロイン宮城野のやさしさと儚さを描いている。ゆったりした雰囲気があって現在の幸薄い境遇についても、どこかしたたかな感じのするヒロインの物語。生きることへの倦怠からなのか他人のために自分を犠牲とすることも厭わないヒロイン像が男女二人の会話劇から浮かんでくる。海外の上映会でこのヒロインの死をキリスト教的な献身ととらえる見方があったそうだ。
山崎監督の映画版は宮城野というヒロインの造形についてはほぼ原作通り。決定的に違うのは原作では脇役にすぎない矢太郎の造形である。半沢直樹で大ブレイクする前の片岡愛之助演じる矢太郎の描き方が重層的で面白い。ひたすらな修行者であり、師匠の後釜を狙う野心家でもあり、ヒロインにすがる弱い男でもあり、ずるい薄情男でもあるという複雑な役がとても魅力的な作品だ。
映像の美しさが印象的だった。赤と青が基調となった画面のところどころに書き割りの場面が登場し、心中物語的な様式美が強調される。結果的に女性一人が血にまみれて死んでいく話としては衣笠貞之助監督で映画化もされた芥川龍之介「袈裟と盛遠」の話を連想した。こちらは高貴な身分のヒロインが、自分を慕うあまりに夫の殺害を企てた男の刃の前に自身を投げ出す物語。緊張感と倦怠感が入り混じる重層の構成に共通するものがある。
上映後の監督トークの後で質疑応答の時間となった。「監督としてはヒロインの宮城野ととても丁寧に描かれている脇役の矢太郎とどちらに思い入れがありますか?」 と聞いてみた。「自分としては宮城野も、矢太郎も面白い。さらには師匠である写楽にも興味を持った。そういう3つの要素のそれぞれを描いている。そのどの部分に感情移入するかは観る人ごとに違っていて良いと思う」との回答。なるほど。こういう上映会が地元で開催されると楽しい。
原作を読んでみると宮城野という薄幸の女性の物語。30頁ほどの短い戯曲はヒロイン宮城野のやさしさと儚さを描いている。ゆったりした雰囲気があって現在の幸薄い境遇についても、どこかしたたかな感じのするヒロインの物語。生きることへの倦怠からなのか他人のために自分を犠牲とすることも厭わないヒロイン像が男女二人の会話劇から浮かんでくる。海外の上映会でこのヒロインの死をキリスト教的な献身ととらえる見方があったそうだ。
山崎監督の映画版は宮城野というヒロインの造形についてはほぼ原作通り。決定的に違うのは原作では脇役にすぎない矢太郎の造形である。半沢直樹で大ブレイクする前の片岡愛之助演じる矢太郎の描き方が重層的で面白い。ひたすらな修行者であり、師匠の後釜を狙う野心家でもあり、ヒロインにすがる弱い男でもあり、ずるい薄情男でもあるという複雑な役がとても魅力的な作品だ。
映像の美しさが印象的だった。赤と青が基調となった画面のところどころに書き割りの場面が登場し、心中物語的な様式美が強調される。結果的に女性一人が血にまみれて死んでいく話としては衣笠貞之助監督で映画化もされた芥川龍之介「袈裟と盛遠」の話を連想した。こちらは高貴な身分のヒロインが、自分を慕うあまりに夫の殺害を企てた男の刃の前に自身を投げ出す物語。緊張感と倦怠感が入り混じる重層の構成に共通するものがある。
上映後の監督トークの後で質疑応答の時間となった。「監督としてはヒロインの宮城野ととても丁寧に描かれている脇役の矢太郎とどちらに思い入れがありますか?」 と聞いてみた。「自分としては宮城野も、矢太郎も面白い。さらには師匠である写楽にも興味を持った。そういう3つの要素のそれぞれを描いている。そのどの部分に感情移入するかは観る人ごとに違っていて良いと思う」との回答。なるほど。こういう上映会が地元で開催されると楽しい。
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