2014年10月4日土曜日

侯孝賢監督「悲情城市」

今のチームに赴任する前の2011年の秋に、台北に出張した。2日間の用事が無事に済んで、台北から車で一時間ほどの基隆、九分(にんべんがつく)という街を案内してもらった。1989年にヴェネチア映画祭でグランプリをとった侯孝賢監督の台湾映画「悲情城市」の舞台となった街だ。映画の舞台となった旧鉱山の町は港町の基隆から山に登っていく坂の上にあり眺望が美しい。とても入り組んだ地形になっている。この映画のテーマである第二次大戦後の混乱期に、政治的な理由で潜伏するのに好都合の地形だ。

この映画に主演した香港のスター、トニー・レオンが台湾語を話せなかったので、口のきけない主人公というシナリオが作られたそうだ。この映画は日本の台湾支配が終り、新たに国民党の支配に移行する内部対立の時代を描いている。言葉に頼らずにインパクトの強い場面をつないだすばらしい映画だ。トニー・レオンにとってこの映画は出世作となり、以後の話題作への出演が続く。2000年の「花様年華」(in the mood for love) は世界的にヒットした。2005年の「ラスト・コーション」もすごい映画だ。


九分は日本情緒の残る街で懐かしい気がした。それは同時に植民地支配の名残りでもある。1930 年のセデック族による抵抗が日本軍によって鎮圧された「霧社事件」を描いた「セデック・パレ」という映画が2011年に台湾で大ヒットした。台北を訪れた時に、この映画のポスターを街で見かけた。日本には2013年の4月に公開されている。この映画はいつか見てみたい。台湾に親日家が多いのは仕事でも感じるが、その一方で植民地時代の記憶が風化していないのも事実のような気がする。






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