2014年に製作された時からフェースブックなどで話題になっていたキルギス映画が調布市にある東京外語大キャンパスで上映されていたので観ることができた。「中央アジア+日本」対話という政府と国際交流基金と3大学(東京外大、東大、筑波大)の共催による大きなイベントの一環として中央アジアミニ映画祭が開かれているからだ。9月最後の週には駒場キャンパスで5本の映画が5夜にわたって上映されるのでまだ数本を観に行く予定にしている。
調布で観た「山嶺の女王 クルマンジャン」は面白い映画だった。人それぞれだろうが、キルギスでの3年を含めて中央アジアには2回駐在したので、まずはキルギスの人々の様子、草原、山脈がどういう映像になっているのかが最大の興味だった。この期待は十分に満たされた。草の海に白く浮かぶ天幕(ユルタ)、人馬が一体となって疾走する場面、砂煙を上げながらの渓谷での戦闘場面のどれもが圧倒的に美しい。2000年の名作「グリーン・デスティニー (Crouching Tiger, Hidden Dragon)」(中国、台湾、香港、米国合作)はとても好きな映画だが、これに匹敵するだけの映像美だ。
この映画で心に残るのは自然の映像ばかりではない。詩情に満ちた佳作だ。愛する者たちとの別れ、山がちの国で移動式住居での暮らし、圧倒的な勢いの他国軍が攻め入って来る民族の運命のどれもが胸に迫る。遠路はるばるやってきた客人たちを天幕に招き、馬乳酒を勧めるあたりで、どうしても井上靖の小説「蒼き狼」の世界を連想してしまった。映画の上映前にキルギスという国を紹介してくれたキルギス女性が、キルギスと日本の共通点を説明するのに「どちらもモンゴル系なので、蒙古斑がある」と語ったことにも影響されたのだろう。
この映画のヒロインを4人の女優達が世代ごとに演じた。幼児期のクルマンジャンは男の子を望む両親に、占い師のもとに連れて行かれ「この子は男の子10人に匹敵する」という奇妙な予言を受ける。そのことも影響したのかヒロインは気丈な娘に育つ。親の決めた許婚者のもとに嫁がされることになったにもかかわらず、予想外の事件が起こり、実家に逃げ帰るエピソードが興味深い。この国には悪名高い「誘拐婚」という因習がある。数年前に日本人カメラマンが写真集を出し、センセーショナルな話題となった記憶はまだ新しい。この風習が複雑なのは「暴力オンリーの誘拐婚」というのは例が少ないらしいことだ。それよりはサプライズで「誘拐」された後で、双方の親族を巻き込んだ形での「説得」が行われるケースが多い。だからOKなのではない。むしろ逆だ。暴力そのものよりも、女性が自分の人生の選択をする権利を共同体がよってたかって軽んじていることがこの因習の本質であり、より根が深いように思われる。この映画のヒロインであるクルマンジャンはそういう暴力と社会的圧力の両方を拒んで実家に戻る。
この映画でもう一つ描かれているのはキルギスと隣国であるコーカンドハン国との確執だ。コーカンドは現在もウズベキスタンのフェルガナ地方に存在する中規模の街だ。19世紀の時点ではウズベキスタンは西のヒヴァハン国、中央のブハラハン国、東のフェルガナ渓谷にあるコーカンドハン国に分かれていた。コーカンドからウズベク・キルギス国境はほぼ100㎞くらいの距離だ。2010年4月にキルギスで大規模な政変が起きると、この国の南部の治安が悪化し6月には再び暴動が起きた。この時の要因の一つがキルギス系とウズベク系の住民たちの対立だった。当時ビシュケクに駐在していたので忘れがたい記憶だ。この映画を観ると、こうした民族間の緊張には歴史的な経緯があったことがわかる。
この映画は135分と長いので、話の筋が終盤になるとぼやけてくる感じもする。観客は女性指導者となったクルマンジャンが英雄的な活躍をする場面を期待する。この映画の中盤では確かにそういう愛国映画の雰囲気がいっぱいだ。ところが19世紀の後半になってロシアが中央アジア支配を強め、隣接したいくつかのハン国を滅ぼしてしまうと、すでに老境を迎えつつあるこの女性指導者はロシアへの忍従を選ぶ。ロシアの将軍の恣意的な裁きで彼女の息子が処刑されるのを見守る場面がクライマックスとなる。7世紀には唐、13世紀にはモンゴル、19世紀にはコーカンドハン国など強国に支配されてきた歴史の中で、民族の誇りと存続を天秤にかける苦悩が描かれる。結果として1991年に旧ソ連が崩壊した時にこの国は独立を果たしている。
調布で観た「山嶺の女王 クルマンジャン」は面白い映画だった。人それぞれだろうが、キルギスでの3年を含めて中央アジアには2回駐在したので、まずはキルギスの人々の様子、草原、山脈がどういう映像になっているのかが最大の興味だった。この期待は十分に満たされた。草の海に白く浮かぶ天幕(ユルタ)、人馬が一体となって疾走する場面、砂煙を上げながらの渓谷での戦闘場面のどれもが圧倒的に美しい。2000年の名作「グリーン・デスティニー (Crouching Tiger, Hidden Dragon)」(中国、台湾、香港、米国合作)はとても好きな映画だが、これに匹敵するだけの映像美だ。
この映画で心に残るのは自然の映像ばかりではない。詩情に満ちた佳作だ。愛する者たちとの別れ、山がちの国で移動式住居での暮らし、圧倒的な勢いの他国軍が攻め入って来る民族の運命のどれもが胸に迫る。遠路はるばるやってきた客人たちを天幕に招き、馬乳酒を勧めるあたりで、どうしても井上靖の小説「蒼き狼」の世界を連想してしまった。映画の上映前にキルギスという国を紹介してくれたキルギス女性が、キルギスと日本の共通点を説明するのに「どちらもモンゴル系なので、蒙古斑がある」と語ったことにも影響されたのだろう。
この映画のヒロインを4人の女優達が世代ごとに演じた。幼児期のクルマンジャンは男の子を望む両親に、占い師のもとに連れて行かれ「この子は男の子10人に匹敵する」という奇妙な予言を受ける。そのことも影響したのかヒロインは気丈な娘に育つ。親の決めた許婚者のもとに嫁がされることになったにもかかわらず、予想外の事件が起こり、実家に逃げ帰るエピソードが興味深い。この国には悪名高い「誘拐婚」という因習がある。数年前に日本人カメラマンが写真集を出し、センセーショナルな話題となった記憶はまだ新しい。この風習が複雑なのは「暴力オンリーの誘拐婚」というのは例が少ないらしいことだ。それよりはサプライズで「誘拐」された後で、双方の親族を巻き込んだ形での「説得」が行われるケースが多い。だからOKなのではない。むしろ逆だ。暴力そのものよりも、女性が自分の人生の選択をする権利を共同体がよってたかって軽んじていることがこの因習の本質であり、より根が深いように思われる。この映画のヒロインであるクルマンジャンはそういう暴力と社会的圧力の両方を拒んで実家に戻る。
この映画でもう一つ描かれているのはキルギスと隣国であるコーカンドハン国との確執だ。コーカンドは現在もウズベキスタンのフェルガナ地方に存在する中規模の街だ。19世紀の時点ではウズベキスタンは西のヒヴァハン国、中央のブハラハン国、東のフェルガナ渓谷にあるコーカンドハン国に分かれていた。コーカンドからウズベク・キルギス国境はほぼ100㎞くらいの距離だ。2010年4月にキルギスで大規模な政変が起きると、この国の南部の治安が悪化し6月には再び暴動が起きた。この時の要因の一つがキルギス系とウズベク系の住民たちの対立だった。当時ビシュケクに駐在していたので忘れがたい記憶だ。この映画を観ると、こうした民族間の緊張には歴史的な経緯があったことがわかる。
この映画は135分と長いので、話の筋が終盤になるとぼやけてくる感じもする。観客は女性指導者となったクルマンジャンが英雄的な活躍をする場面を期待する。この映画の中盤では確かにそういう愛国映画の雰囲気がいっぱいだ。ところが19世紀の後半になってロシアが中央アジア支配を強め、隣接したいくつかのハン国を滅ぼしてしまうと、すでに老境を迎えつつあるこの女性指導者はロシアへの忍従を選ぶ。ロシアの将軍の恣意的な裁きで彼女の息子が処刑されるのを見守る場面がクライマックスとなる。7世紀には唐、13世紀にはモンゴル、19世紀にはコーカンドハン国など強国に支配されてきた歴史の中で、民族の誇りと存続を天秤にかける苦悩が描かれる。結果として1991年に旧ソ連が崩壊した時にこの国は独立を果たしている。
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