2016年1月31日日曜日

魏徳聖監督 「賽徳克巴莱(セデック・バレ)」

2011年の秋に、台湾を訪れる機会があった。台北で開かれた会議に出席するのが目的だった。台北の市内のあちこちで「セデック・バレ」という映画のポスターが目についた。1930 年のセデック族による抵抗が日本軍によって鎮圧された「霧社事件」を描いた魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督の作品だった。日本には2013年の4月に公開されている。ずーと気になっていた映画だったが、ようやくDVDで観た。

映画の題名の「セデック・バレ」は真の人という意味を持つ。「第一部 太陽旗」、「第二部 虹の橋」の合計は4時間半に及ぶ。第一部では1894年の日清戦争の後で、日本の植民地となった台湾における日本の支配の様子と、いくつかの誘因となるエピソードが重なって、やがてセデック族による蜂起が起こるところまでが描かれている。第二部では、鎮圧に手を焼いた日本軍がセデック族の対立部族を巻き込んでの反撃と鎮圧が描かれている。

日本による植民地統治を批判した政治的なメッセージ色の強い作品だろうかという予断を持っていたが、4時間半にわたる長い映画を見終えると、印象がかなり違うものになった。蜂起の場面と鎮圧の場面で大量の殺戮シーンが登場するのは事実だが、一貫してセデック・バレの頭目であるモーナ・ルダオとその指揮に従う部族の戦士たちと家族の誇りについての描写が続くので途中から外国映画のような気がしなくなった。こういう滅びゆく人々を描いた物語をどこかで観たような気がした。日本の戦国時代の城の攻防についての映画だったり、源平の合戦の物語であったり、故郷である長岡が越後戊辰戦争の敗戦で焼け跡になった故事などを連想しながら、この台湾映画を観ていた。

血気にはやる若者たちに、老いを迎える年齢となった頭目は語りかける。「蜂起すれば、全滅するぞ」。その頭目自身がとうとう蜂起を決意する。セデック族とそれに呼応した部族の総勢は300人程度。次第に人員と大型兵器を投入してくる日本の鎮圧軍にじりじりと追いつめられていく。投降を考え始めた若者たちに頭目は語りかける。「恐れるな。蜂起すれば死ぬことは最初からわかっていたはずだ。大切なのはどう死ぬかだ。」

この映画の第二部で描かれる深山のゲリラ戦では蜂起軍が徹底的に鎮圧軍を苦しめるが、史実によれば鎮圧段階での日本軍と警察側の死者は20数人程度で、セデック族の蜂起はあっけなく鎮圧されたそうだ。この映画は植民地支配時代の史実というよりも、それを越えて民族の誇りについての物語を描こうとしたのだろう。結果的に台湾映画でありながら、武士道を描いたような作品となった。この印象は映画を観てみないとわかりにくいと思う。


台湾の山地で狩りをして生きていたセデック族の人々は血の儀式として獲物の首を狩る。この部分が抗日蜂起の場面でも嫌というほど登場するので、血を見るのが苦手な人には勧められる映画ではない。不思議なくらいに観終わったあとの印象がどこか静まりかえった感じがする。この映画の基になっている「霧社事件」について司馬遼太郎が「台湾紀行」の中の「山人の怒り」という章で書いているのを見つけた。この台湾で起きた蜂起と明治初期の士族の反乱との共通性を指摘している。興味深い。


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