2015年3月30日月曜日

チャールズ・ダンス監督 「ラベンダーの咲く庭で」

この映画は英国で2004年に製作されている。サウンドトラックが素晴らしいので、このところ車の中でCDをいつも聴いている。英国の南西部にあるコーンウォール地方の海岸が映画の舞台になっている。船から落ちて浜に打ち上げられた若者を二人の初老の女性が助けるところから話が始まる。怪我をしている若者の看病をしながら、とても幸せな時間が流れた後で、やがて別れの時が来る。この若者は天才的なヴァイオリニストで、これから大きな都会に出て羽ばたくことを予感させる物語だ。

その羽ばたきのきっかけを作るのが、この避暑地で夏を過ごしていた若く美しい女流画家である。彼女がその若者の才能を見出し、ヴァイオリンの名匠である兄のところへ旅立たせることになる。この若者を失いたくない老ヒロインは、この画家に嫉妬し、若者に対する恋心に苦しむ。この映画が不思議なくらいに美しいのはその老嬢が燃え上がる恋心に戸惑う様子が、まるで庭に咲くラヴェンダーの花の妖精が乗り移ったかのように瑞々しく感じられることだ。


この映画の印象はどこかギリシャ神話のオデュッセウスの物語に似ている。ラファエロ前派の画家 J.W.ウォーターハウスの「ユリシーズに杯を差し出すキルケ」という題の絵を思い出した。マリオ・バルガス・リョサ「悪い娘の悪戯」(八重樫克彦・八重樫由貴子訳)の表紙になった絵だ。キルケという妖精に魅入られた男たちは様々な動物に変身させられてしまうが、英雄ユリシーズはこの妖精の術にはまることなく仲間たちを救い出す。ユリシーズというのはローマ神話の英雄でギリシャ神話のオデュッセウスのラテン語名が英語化したものだ。中学校の英語の教科書にオデゥッセウスが妖精カリプソに別れを告げる場面を今でも覚えている。


この二枚目の英雄は航海の途中で、様々な困難に出会うが、行く先々の島で妖精たちに助けられる。引き止められが、やがて旅立ちの時が来て、妖精たちは別離の辛さに苦しむことになる。ウォーターハウスは古代の神話や伝説をテーマにした絵をたくさん描いている。ロンドンに赴任したばかりの頃に「エコーとナルシス」のレプリカを買った。あちこちの国を転々としたが、今でも部屋に飾ってある。



2015年3月15日日曜日

秋吉久美子の魅力 森田芳光監督「の・ようなもの」 藤田敏八監督「赤ちょうちん」

フェースブックが凄いのはいろいろな人の投稿から連想するものがあるからだ。「究極のメロンパン」を売っている「のもの」ショップというお店の名前の話から、森田芳光監督の映画「の・ようなもの」(1981年)を久しぶりに思い出した。秋吉久美子さんが粋なお姉さんの役を演じている。二つ目の落語家の生活を描いたこの映画は何とも言えないとぼけた味でしみじみしていた。森田監督は亡くなられたが、杉山泰一監督、松山ケンイチ主演で「の・ようなもの のようなもの」という続編が今年公開予定だそうだ。観てみたい。

秋吉久美子と言えば、個人的には「赤ちょうちん」(1974年)が代表作だと思っている。日活青春映画の佳作をたくさん撮った藤田敏八の監督作品だ。大ヒットした南こうせつの歌の人気をねらって作られたはずの作品なのだろうが、この映画は名作だ。高岡健二にとっての代表作となり、脇を固めた長門裕之も好演している。


「赤ちょうちん」の脚本を書いた中島丈博という人は黒木和雄監督で映画化された「祭りの準備」(1975年)というすごい脚本を書いている。長岡出身の五藤利弘監督の「スターティング・オーヴァー」(2014年)はこの系列に属する青春映画で好きな作品だ。

2015年3月10日火曜日

衣笠貞之助監督「地獄門」 遠藤盛遠とその後の文覚上人のこと

衣笠貞之助監督は1953年に映画「地獄門」でカンヌ国際映画祭のグランプリと米アカデミー賞名誉賞と衣装デザイン賞を取っている。書店のDVDコーナーで、この映画を何気なく手に取り、後ろカバーの解説を読んでいて驚いた。これは「袈裟と盛遠」の物語でもある。ヒロインの袈裟を京マチコ、ヒロインにひたすら横恋慕する侍を若い長谷川一男が演じている。映画の原作は菊地寛の「袈裟と良人」という物語だ。

芥川龍之介の「袈裟と盛遠」は新潮文庫「羅生門・鼻」の中に入っている。2008年の夏に、ロシア語訳のMP3をペテルスブルクで見つけて以来、気になっている。同じ歴史上の物語を題材としながらも、2冊の題名は異なっている。菊地寛はストーカーとなった侍に殺された美女とその夫に焦点をあてた貞女物語を書いた。芥川龍之介の「袈裟と盛遠」は殺された美女と殺した若武者の凄絶な心理ゲームを描いたものだ。芥川の短い物語には、黒沢明監督が映画化した「藪の中」と共通するものがある。


事件を起こした若武者盛遠は当時19歳だったとされている。罪を反省した盛遠は死罪を免れると、出家しやがて文覚上人となり、歴史に名を残している。神護寺、東寺、東大寺、江の島弁財天などの修復にも貢献したそうだ。ウィキペディアなどによると出家以前の盛遠のことが書かれているのは「源平盛衰記」で、その後伊豆に流され、その地で出会った源頼朝に平家追討を勧めた人だとされている。とても面白い人物だ。手塚治虫もこの人に興味を持ったようで「火の鳥 乱世編」の中に登場させている。





2015年3月9日月曜日

上田秋成「雨月物語」の伝統を継ぐ映画たち 

フェースブックを観ていたら骸骨が抱き合っている写真があった。スクリーンの向こう側に人が立つとこちら側にいる人たちには骸骨だけが見えるという仕組みだ。いろいろなカップルが出てくる。最後にメッセージが流れる。「愛は人種の違いを越える」、「愛は年齢を越える」、「愛は性別を越える」などなど素敵な動画だった。

この動画を観てすぐに連想したのは上田秋成の雨月物語の中の「浅茅が宿」を基にした怪談で、都から戻ってきた薄情な夫を優しく迎えた新珠美千代さんの美しさだ。朝になって残っていたのは骸骨と黒髪だけだったという凄絶な物語だ。三国連太郎演じる薄情な男を待ち続け、とうとう再会できたので恨みに思う気持ちが消えて成仏して消えたのか? いったんは男をあちらの世界への道連れにしようと思ったけれど朝が来たらばかばかしくなって一人で成仏することにしたのか?小林正樹監督の傑作である「怪談」(1965年)の中の「黒髪」の場面である。


「浅茅が宿」の物語は溝口健二監督の「雨月物語」(1953年)でも取り上げられている。田舎暮らしに飽きて出世のために都に上る男を演じたのは森雅之だ。哀れでけなげな妻を演じたのは田中絹代だった。こちらは都の暮らしにも飽きて男が戻って来ると、すでに妻は死んでいるが、残された子供が元気に生きている。同じ物語に題材を取っても、小林作品では男の顔に死相が現れるのが結末で、溝口作品では子供を育てる役割を背負う男には再生の希望が見える結末となっている。


小林正樹監督の「怪談」に話を戻すと、こちらにはラフカディオ・ハーンの原作でよく知られている「耳無し芳一」の物語も出てくる。琵琶法師の奏でる音色に聞きほれて法師を迎えにくる丹波哲郎演じる平家の落ち武者とその仲間たちの想いが見事に描かれた作品だ。「雨月物語」も「怪談」も彼岸と此岸の境界で強い思いを抱き続けて彷徨う者たちを描いた日本映画の傑作だ。


日本映画の伝統に脈々と流れる「想い続ける力、彷徨う力」というテーマにこだわった作品としては、郷里である新潟県長岡市出身の五藤利弘監督の「ゆめのかよいじ」と「モノクロームの少女」がある。どちらの作品も物語の構造としては、伝統的な怪談映画に近い。勢いのある若手の俳優たちを起用したせいか、活き活きした青春映画にもなっている。新潟県長岡市栃尾を舞台にしたこの二つの作品はどちらも映像が美しい。生まれた土地だったり、大切な人をしのぶ場所だったりという理由で、ある風景が自分にとって特別な意味を持つということは時々ある。そういう場所がある時スクリーンの映画になっていて、風の吹いている感じや色彩のイメージが自分の心象風景のままだったりして感動した経験はないだろうか?「ゆめのかよいじ」も「モノクロームの少女」もそういう映画である。




2015年3月2日月曜日

高倉健の魅力 修善寺と神楽坂と映画「あ・うん」のこと

去年の夏を藤沢で過ごしていたある日、思い立って東海道線で西伊豆に向かった。東海道線のプラットホームでいつも見ている反対方向の列車に乗ってみたくなったからだ。漠然と学生の頃に歩いたことのある土肥とか戸田の辺りを目指した。鉄道を乗り換えて修善寺駅まで旅は快調だった。修善寺に着いて、バスを待つ間に、電話で西伊豆の宿を予約しようとしたらどこもいっぱいだった。修善寺の温泉に泊まることにした。川沿いの宿は大きな露天の岩風呂の他に、個室のヒノキ風呂もあって良かった。夜になってお寺の境内を見学に行った。川沿いの散歩道が竹林に囲まれて素晴らしかった。朱塗りの橋がかかっていて、対岸の木造の宿が散歩道から見えた。

年末に名優高倉健が亡くなった。日本に帰省していたので、有楽町スバル座の健さん追悼上映に3週続けて通った。まずは大好きな「夜叉」。スバル座のスクリーンで観るのは感動だった。その次の週に「あ・うん」を観た。日本を出発する直前に観た「単騎、千里を走る」は中国映画(チャン・イーモウ監督)だが、日本が舞台となる部分は降旗康男監督が撮っている。3本とも降旗監督、健さん主演の映画を見たことになる。


名画「あ・うん」(1989年)の評判は聴いていた。向田邦子の原作は何度かドラマや映画になったが、これまで観る機会がなかった。健さんがとにかくかっこいい。ヒロインを演じた富司純子さんの魅力もきらきらしている。「昭和残侠伝」時代のこの二人が再会して、スクリーンに戻ってきたような気がした。男同士の友情と親友の妻への思慕をめぐる葛藤の中での、大人のほろ苦い人間関係を描いたこの映画は渋い。この歯がゆさとやるせなさは、「世間の義理」と「熱い人情」の間で耐え忍ぶ健さん主演の任侠映画と共通のものだ。親友二人と片方の妻の3人で伊豆の修禅寺に行く場面を観てびっくりした。映画の宣伝ポスターにもなっている橋も、新井旅館も去年の夏に夜の散歩道から眺めた場所だった。


この映画の中に神楽坂も出てくる。近くに半年ほど住んだことがあるので、懐かしい。本多横丁辺りの粋でレトロな雰囲気と、フレンチ・レストランや赤城神社のカフェなどモダンなものが混ざり合う感じがとても良い。粋な料亭というと、東京の会社員だった頃、一度連れて行かれたきりだが、神楽坂はその昔は花柳界が栄えた街だ。花柳界という言葉は陸遊という人の漢詩から派生した「柳暗花明」という言葉に由来するという説がある。山を越えて暗い柳の道をたどるような辛い時でも、諦めずに進めばやがて花咲く里にたどりつくという意味だ。向田邦子は戦前の東京を舞台にした名作をたくさん書いている。「あ・うん」でも戦争中の暗い時代を生き抜いた人々の祈りみたいな気持ちを表現したかったのかも知れない。