2015年7月31日金曜日

ジェームズ・マーシュ監督「博士と彼女のセオリー」

この映画は20149月にトロント映画祭で公開され、主演のエディ・レッドメインがアカデミー賞主演男優賞を受賞したことなどで話題になった。英テレグラフ紙の独占インタビューをもとにしたインデペンデント紙の2015年731日付けの記事がある。博士の最初の妻だったジェーン夫人が、博士の闘病と夫人の看病が映画に描かれた以上に大変だったことをインタビューで語っている。同年516日付けの英ガーディアン紙の記事では「わたしたちの結婚は夫と私と病気と物理学研究の4者で成り立っていた」という夫人の言葉が紹介されている。

ジェーン夫人の回顧録に興味を持った脚本家がシナリオを書き、映画化の交渉をし、監督を指名してこの映画が作られたそうだ。1942年生まれのホーキング博士が筋肉に指令を送る神経に問題がある病気と診断されたのは1963年で、まだ学生時代のことだ。余命2年と医師に宣告される。ジェーン夫人は周囲の懸念をものともせずに1965年に博士と結婚する。ところがここで奇跡が起きた。博士の病気は回復こそしなかったものの、当初の医師の見立てを異なり、進行が止まる。その後の博士の宇宙を専門とする理論物理学者としての活躍はメディアに何度となく報じられてきた。

さて余命2年のはずの恋人との結婚に踏み切ったジェーン夫人は、1991年にとうとう離婚に踏み切る。難病の患者と結婚の決断をしてから26年の歳月が流れ、夫婦の間には3人の子供がいる。ジェーン夫人は博士の看護に疲れてしまう。鬱々とした日々の中で訪れた教会の合唱団の練習で新たな出会いをする。1977年のことだから結婚してから12年の時間が流れている。離婚までさらに14年の時間が流れる。離婚の決断のきっかけになったのは、その後に2番目の妻となった看護師の女性に博士を任せることができるようになったことらしい。

天才科学者で難病を患った人の闘病と愛の映画といえば、今年交通事故で逝去されたジョン・ナッシュ博士夫妻を描いた「ビューティフル・マインド」がある。どちらの映画も主演男優の演技が神がかっている。ニュースなどで知っている博士自身が映画に出演しているかのような気持ちになった。


スティーブン・ダルドリー監督 「ビリー・エリオット(リトル・ダンサー)」

テレビでこの映画を観たつれあいの強い推薦があったのでDVDを買ってきた。この2000年の英国映画の舞台となっているのはイングランドの北東部で、スコットランドに近いダラム周辺の小さな架空の炭坑町だ。英国の炭鉱を舞台にした映画というと、ジョン・フォード監督の名作「わが谷は緑なりき」(1941年)を思い出す。こちらはウェールズが舞台だ。「ビリー・エリオット」の冒頭もしみじみした感じで始まるので、こちらもかなり昔の設定なのかと思ったら、時代設定が1980年代でびっくりした。1984年の英国炭鉱ストライキがこの映画の背景になっている。この頃に日本で会社員だったわたしにとっては「まだ記憶に新しい同時代」だが、この映画の中ではすっかり「歴史の中の一時期」だ。

この映画の主人公ビリーをめぐる環境は厳しい。小さな政府を実現することで英国病からの脱却を図ったサッチャー首相(在任1979年-1990年)の時代だ。英国石炭庁が不採算炭鉱の閉鎖と大規模な人員合理化の方針を発表したことをきっかけに英国全土に広がったスト派と反スト派と治安当局の三つ巴の衝突の様子が映画の中にも繰り返し登場する。ビリーの母が病気で亡くなったことも、残された家族にはまだ生々しい記憶だ。祖母は年老いてきた。父は妻を失って以来元気がない。兄は行き場のない気持ちをぶつけるようにして組合運動にのめり込んでいる。一家の大黒柱である父と兄がそろって炭鉱ストに参加しているので、収入も途絶えた一家は厳しい状態にある。クリスマスの晩に母の思い出のピアノをハンマーで叩き壊し、暖炉にくべて暖を取る場面が象徴的だ。

炭鉱町で男らしく生きていけるようにという願いを込めて、父は息子ビリーにボクシングを習わせる。ところがビリー少年はボクシングよりも、同じ公会堂のバレエの練習が気になって仕方がない。やがてそれを父に知られてしまう。父はそんな「女々しいこと」に興味を持つ息子を許さない。ところがどうしてもあきらめない息子の姿を見ている内に「もしかしたらこの子には才能があるのかも知れない」と気がつく。田舎の炭鉱町の夢みたいな話だが、この一家にようやく見えた希望の光だ。頑固一徹だった父はビリーの資金作りのためにスト破りを決意する。組合のリーダーであるビリーの兄に見つかり、親子での格闘になる。頑固なわからず屋親父が「ビリーの望みを叶えるためなら、どんな非難を受けてもかまわない。スト破りでもなんでもする」と叫ぶ場面で、涙をこらえるのは至難の技だ。

主人公である11歳のビリー少年を演じた子役のジェイミー・ベルの演技が圧倒的だ。バレエの先生とのやりとり、幼なじみのゲイ少年マイケルとのやりとり、父とのやり取りの場面のそれぞれでまだ14歳くらいの少年だったこの子役の横顔がとても大人びて見えるのが印象的だ。やがて父に連れられたビリーがロンドンの英国王立バレエ学校のオーディションに臨む場面がこの映画のクライマックスだ。ビリーはバレエダンサーとして成功し、父と兄をロンドンの舞台に呼ぶ。この短い場面で大人になったビリーを演じているのが、現実世界で2005年公開のマシュー・ボーン演出「白鳥の湖」で主役を演じたアダム・クーパーというバレエ・ダンサーだ。この人も英国王立バレエ団の出身だそうだ。

この物語は映画としてヒットした後で、エルトン・ジョンの作曲でミュージカルとなった。日本でも2014年に公開されている。映画の中に幼なじみのゲイ少年が登場するだけでなく、映画の結びの部分に登場するマシュー・ボーン版「白鳥の湖」も同性愛をテーマにしている。ミュージカルを作曲したエルトン・ジョンも有名な人なので、この物語を少数者の趣味と選択の自由についてのメッセージ映画として観ることも可能だ。


2015年7月24日金曜日

小林正樹監督 「人間の条件」

新潟県人会のIさんとワインを飲みながら好きな映画の思い出になった。その時に話題になった映画(小林正樹監督、1959-1961年)だ。新珠美千代さんが素敵だったという点でも意見が一致した。学生時代に新宿のオールナイト上映で観た映画だ。第1部から第6部までを観るには、ほぼ10時間かかる大作だ。学生時代に観た映画として記憶の片隅に放ってあった。岩波現代ライブラリーで原作が読めるようになったので、さっそく買って書棚に置いてある。

この映画を思い出したのは、今年になってから哲学者ハンナ・アーレントを描いた映画を観たのがきっかけだった。このドイツで製作された「官僚的な組織の中で命令に従い、思考を停止することが悪につながる」というアーレントの主張を描いた映画を観て、五味川純平原作の映画「人間の条件」を思い出した。仲代達矢演じた主人公の梶は、日本が支配する満州国で良心的な管理者として生きることを希望して、国策会社の経営する鉱山に赴任する。彼は「極悪人」ではないし、「考えることを停止できる人間」でもない。自分の良心と非人間的な植民地的経営との間で板挟みになり、苦しみ抜く


この映画で圧倒的に印象に残るのは宮口精二演じる王亨立が、主人公梶に語りかける場面だ。日本軍の軍需をまかなう鉱山の経営にあたって「人間的」であろうとする主人公はとうとう組織に逆らう行動を取ることになる。それまでは植民地の経営側の「良心的な高官」だった主人公は、自分の良心に従うことを決める。梶は兵役免除の特権を失い、国策に批判的な危険分子として、兵役に就くことになる。それは愛する妻と引き裂かれるような別れを意味する。この映画はまだそこでは終わらない。一兵卒としての梶が軍隊の苛酷さを経験し、戦場での生き残りのための辛酸を舐めた後で、満州の荒野の雪の中で死んでいくことになる。自分の心を試されるような気がする怖ろしい映画でもある。


2015年7月16日木曜日

張芸謀監督「単騎、千里を走る」 と 謝晋監督「芙蓉鎮」

張芸謀 (チャン・イーモウ) 監督の「妻への旅路」という映画が今年3月に日本で公開されたという記事を読んだ。文革で引き裂かれた夫婦が長い年月を経て、ようやく再会すると妻は夫を認識できなくなっていたというところから始まる物語らしい。観てみたいものだ。

中国の文革映画と言えば2008年に亡くなられた謝晋(シエ・チエン)監督の「芙蓉鎮」(1986年)の記憶が鮮明だ。この映画が日本で公開された1988年頃は日本の会社で燃料関係の仕事をしていた。中国の大慶油田の輸入交渉に参考になるかも知れないというので、職場の上司たちと観に行った記憶がある。この映画は湖南省の地方都市が舞台だ。屑米を利用して作った豆腐料理屋が繁盛していたことを妬まれ、地方を牛耳っていた党の役人ににらまれるようになったヒロイン夫婦の運命は暗転する。失意の底でも生きる気力を失わないヒロインの健気さが感動を呼ぶ映画だった。罪人として道を清掃しているヒロインが、バレエを踊るかのようにほうきをくるくる回しながら自分も回る場面がとても印象的だった。

張監督は「単騎、千里を走る」で高倉健さんを起用した人だ。一月の有楽町スバル座の健さん追悼上映を友人と二人で観たのが懐かしい。この映画は中国雲南省と日本が舞台で、中国での撮影は張監督が、日本での撮影は降旗康男監督がそれぞれメガホンをとった。健さん演じる主人公は妻を失くして以来、息子との交流が途絶えていた頑固な父親を演じた。その息子が病に侵されて死期が近くなる。ほとんど途切れていた絆を手さぐりするような気持ちで、この父親は何か息子にしてやれることはないかと考える。それで選んだのが息子の研究していた中国の古い仮面舞踊を撮影するため中国の山奥の村を訪ねることだった。仮面舞踊のテーマとなっている「三国志演義」の故事が映画の題名になっているそうだ。はるばる日本からきた主人公を歓迎するために道端にテーブルが出され、村人総出の宴会となる場面が印象的だった。また雲南省の岩山の風景がすばらしい。岩山の道で健さんと服役中の父を待つ幼い男の子が道に迷ってしまい途方に暮れながら、村人たちに見つけてもらうまで一緒に時間をすごす場面がこの映画のハイライトだ。主人公にとってはタイムマシンに乗って、幼い頃の息子に再会したかのような不思議な味わいの映画になった。

ロンドンでも夏になると道端にテーブルを出してご町内の皆さんが料理を持ち寄るイベントがある。最近のニュースで酒宴が大騒ぎに発展した話を聞いてびっくりした。道端の酒宴が、和やかなものになるか、酒を飲み過ぎて大騒ぎになってしまうかはそれぞれのご町内の雰囲気次第ということになる。近所のチズイックに住む友人からも夏の始めに「ストリート・パーティー」があって楽しかったという話を聞いて羨ましかった。中央アジアに住んでいた時でも、コーカサスに出張した時でも、夏は庭にテーブルを出して宴会をやるのは当たり前だった。懐かしい思い出だ。