2014年10月21日火曜日

ポール・マザースキー監督「ハドソン河のモスコー」

週刊文春のコラム「本音を申せば」の小林信彦の映画評が好きだ。109日号でこの人が今年8月に急逝したロビン・ウィリアムズについて書いている。代表作として「ガープの世界」、「グッドモーニング・ベトナム」、「いまを生きる」、「レナードの朝」などを挙げているのは順当なところだが、この人は「ハドソン河のモスコー」(1984)を好きな作品としてコメントしている。

この映画を観たのは1986年の7月だ。ニューヘイブンで英語の勉強をしている時にアメリカ人の先生が見せてくれた映画だ。たまたま亡命することになったロシア人が片言の英語でニューヨークで生きていくところを生徒に見せて激励してくれたのだろう。モスクワのサーカスでサックスを吹いている主人公が米国公演のメンバーとしてニューヨークを訪れることになることから物語が始まる。

映画の前半の見どころは冷戦下の旧ソ連の生活の雰囲気が描かれているところだ。亡命を夢見ていたサーカスの同僚にKGBの注意が集中していたことから、思いがけなく主人公に亡命のチャンスが訪れる。ニューヨークのデパートの中でのドタバタ騒ぎの後で亡命に成功してしまう。映画の後半の見どころはこの亡命ロシア人がサックス奏者としての仕事も、家族の絆も、母国語すらも犠牲にして新天地ニューヨークで生きて行くことの寂寥感だ。この映画を観てロビン・ウィリアムズが好きになった。その後も名作に多く出演したが、それでもこの映画が一番だ。

この映画を撮ったポール・マザースキ監督はお祖父さんがウクライナ人でアメリカに移住した人だそうだ。この映画では自由の天地アメリカへの憧れと自分が生まれ育った国に置いてきたものを想う気持ちの両方が描かれている。ロビン・ウィリアムズがその微妙な感じをとてもうまく出している。この監督の1988年のリチャード・ドレイファス主演の「パラドールにかかる月」、1989年の「エネミーズ ラブストーリー」も懐かしい。

2014年10月20日月曜日

「L.A. ストーリー」と「マイ・ブルー・ヘブン」 スティーブ・マーティンの魅力

グーグルで好きな本や映画を検索できるありがたい時代になった。それでも日本から送ってもらう雑誌を手に取ってページをめくる楽しみは捨てがたい。面白い書評とか映画評とかを見つけた時の喜びは格別だ。週刊文春のコラム「本音を申せば」の小林信彦の映画評には共感することが多い。

「ピンク・パンサー」のクルーゾー警部を演じたスティーブ・マーティンは「花嫁のパパ」、「バックマン家の人々」 など多くの作品に出ているが、この人が出演したミック・ジャクソン監督の「L.A. ストーリー 恋が降る街」(1991年)についての映画評は小林信彦以外には読んだことがない。この映画は大人の童話だ。それぞれいい感じに歳を重ねた二人のすれ違いを、不思議なハイウェイの交通信号が後押しする。人と人との関係についての比喩なのだろう。ちかちかと控えめな信号は出ている。それに気が付いて行動できるかは別の話だ。この映画の監督は1992年にケヴィン・コスナーとホィットニー・ヒューストンの「ボディガード」を撮った人でもある。ローラースケートを履いたカッコいいLA娘の役でサラ・ジェシカ・パーカーが出ている。


この演技派のコメディアン俳優の作品は日本未公開のものも多いと小林氏は指摘している。「マイ・ブルー・ヘブン」(1990年)というハーバート・ロス監督が撮った傑作が日本では紹介されていないことをずーと不思議に思っていたので納得した。この映画はスティーブ・マーティン演じるヤクザのお兄さんと 「ミクロ・キッズ」 のリック・モラニス演じるFBI捜査官の掛け合いが面白い。証人保護プログラムで別の人間として生きている主人公とその監視役の捜査官の話なのだが、二人は妙に息が合う。この二人を空港で出迎えた親族がFBI捜査官を泣き落とす場面と、二人がナイトクラブでメレンゲを踊る場面が最高だ。


リック・モラニスがいい味を出している。お堅いFBI捜査官なのだが気がつくと妻には浮気され、逃げられてしまう。仕事でスティーブ・マーティン演じるマフィアのチンピラの主人公を監視している内に、微妙に影響され、それまで仕事一筋だった堅物男がどんどん面白い男になっていく。やがて新しい恋が芽生える。音楽も素晴らしくて元気の出る映画だ。ハーバート・ロス監督は70年代に「愛と喝采の日々」、「グッバイ・ガール」 などを撮った人だ。これも懐かしい。

2014年10月15日水曜日

ミハイル・カザコフ監督「パクロフスキー門」 モスクワの秋の映画

1982年のこの映画はとてもほのぼのした味がある。スコピエで仕事をしていた時に本部から出張してきたロシア人のナターシャと映画の話になった。その時勧められた映画の一つだ。全編を通じて流れるロシアのシンガーソングライター、ブラト・オクジャワの挿入歌が良い。モスクワの中心にあるアルバート通りの歌だ。

主人公のコスチクが地方からモスクワに出てきて青春時代を過ごした共同アパートで出会った人たちを回想する物語である。ロシアを代表する名優オレク・メンシコフが主人公を演じている。メンシコフの主演作は「シベリアの理髪師」「太陽に灼かれて」「東と西」「ドクトル・ジバゴ」など数多い。この映画の中ではまだ少しにやけたお兄ちゃんで後年の威風堂々たる姿を感じさせるものはないが、感じの良い青年の役を好演している。


共同アパートの住人でユニークなのが出版社に勤めるレフという男だ。とても気が良くて、外国の詩が好きな愛すべき男なのだが一つだけ欠点がある。マイペースで自分の世界に住んでいるので周りの空気が読めないことだ。愛想をつかした奥さんは今は他の男と暮らしている。


このマイペース男の元奥さんであるマルガリータおばさんがすごい。太っ腹で頼りがいがあってロシアの肝っ玉母さんだ。自分の世界に住んでいる元夫に愛想をつかして、ドイツ系のもっとさっぱりしたオジサンと今は暮らしている。面白いのはこの別れた夫婦が同じ共同アパートに住んでいるのみならず、この元奥さんは何かと元夫のレフの生活に干渉してくることだ。陽気なドタバタコメディが展開する。


もう一人面白いアパートの住人がいる。ステージで歌とおしゃべりを披露するコメディアンのオジサンだ。機関銃トークが面白い。即興というわけではなく、原稿を書く人は別にいる。このライターとパフォーマーの関係についての描写も面白い。モテ男のコスチクが一目ぼれをして本気の恋をする話やら、元気オジサンのコメディアンが可愛い水泳選手に夢中になる話やら、マイペースのレフが自分と同じくらいトンデル恋人を見つける話やら盛りだくさんだ。


この元夫の新しい恋に気を揉むマルガリータおばさんがすごい。「ダメなあなたのことを愛していた私でさえ無理だったのだから、他の女となんか幸せになれるはずがない。結局不幸になるわ。そんなこと耐えられないから、わたしがあなたを守らなくてはならない」という信念のもとに、元夫の行動に干渉する。困ったものだが、この映画がとても面白いのはこの猛烈マルガリータおばさんのおかげだ。

2014年10月5日日曜日

Regis Wargnier 監督 「東と西」

1999年のこの映画は名優オレック・メンシコフ、1997年の「ブラザー」で売り出したセルゲイ・ボドロフJrと豪華な男優の二枚看板に加えてフランスからカトリーヌ・ドヌーブが出演した大作だ。映画は1946年のソ連に向かう船の中のパーティーの場面から始まる。主人公のロシア人医師を演ずるメンシコフはフランス人の妻と子を連れて第二次大戦後の祖国の再建に参加するためにロシアに帰還する。妻は夫に寄り添い一家の幸福を信じて異国への移住について来た。

帰還船がソ連の港に到着するとノスタルジックで甘美な夢は打ち砕かれる。船がソ連に到着した途端に、手のひらを返したような当局の仕打ちで技術者や医師や知識人たちは自分たちが間違った選択をしたことに気がつく。しかしもう打つ手はない。フランス人の妻は話が違うとヒステリー状態を経て絶望していく。主人公の医師は家族の身の安全を図るためには、当局のやり方に従う他はないことを思い知らされる。意気地なしと腹を立てた妻の心は夫から離れ、その国に同じように絶望し脱出を夢見る若い青年に気持ちが移って行く。この青年を演ずるボドロフJrがとてもいい味を出している。この将来を期待された若い俳優は残念ながら2002年に撮影中の雪崩に巻込まれて亡くなった。


セルゲイ・ボドロフJrとメンシコフは1996年の「コーカサスの虜」でも共演している。監督はお父さんのセルゲイ・ボドロフ。この早逝した俳優が生きていればメンシコフとの共演でいくつもの名作を作ったはずだ。このコンビの感じの良さはちょうどニキータ・ミハルコフとオレック・メンシコフがさまざまな話題作で繰り返し共演している雰囲気に似ている。セルゲイ・ボドロフJrのご冥福をお祈りする。


オレク・ヤンコフスキー、ミハイル・アグラノヴィッチ監督 「ここに来て わたしを見て」

タシケントに住んでいた頃に「目がさめたらロシア語がすらすらわかるようになってたらいいな」といつも考えていた。仕事は英語でこなしていたが、お客さんに会ったり、会議に出たりした時に自分一人だけが通訳を介する状態は楽しくない。なかなか都合良く奇跡は起きない。その内「ロシアの歌をCDで聴いて、ロシアの映画をDVDで観ていれば、いつか奇跡は起こる」と信じることにした。

ロシアの歌は好きなものを厳選して、先生とのレッスンで逐語訳を用意した。ロシア映画についてもタイプしてくれる人を探して映画のスクリプトを作った。タイピングの出来を先生がチェックしてくれた。かなり時間のかかる作業だったが、好きな歌とかメロドラマの場合には話の筋を理解したいという気持ちが強くてけっこう続いた。12本くらいの映画のスクリプトができた頃に、映画によっては英語ないし日本語の字幕がついているDVDが出回っていることに気がついた。それからはDVDショップがあると字幕付きのを探した。


この2001年の作品はたまたま見つけた。ある日「運命の皮肉」の英語字幕版を見つけた時に、そのDVDの裏側に入っていた作品だ。旧ソ連圏では今でも大晦日に鑑賞される「運命の皮肉」とペアになっていたこの映画は、やはり大晦日に起きる物語だった。とても心温まる作品だ。それからしばらくしてこの作品に主演しているオレック・ヤンコフスキーとイリーナ・クプチェンコのどちらもがとても有名な俳優であることを知った。


ヤンコフスキーは2006年のロシア版「ドクトル・ジバゴ」でも重要な敵役のコマロフスキーを魅力的に演じている。ヒロインのラーラがまだ若い頃に何故この男に魅かれ、銃撃まで試みるかを理解するうえでこれはとても重要な点だ。ロシア版「ドクトル・ジバゴ」にはハリウッド版よりも優れた点がいくつもあるが、この敵役を天下の名優に演じさせたところが物語の説得力を増した最大の理由だ。

Oxana Bychkova 監督 「ピーターFM」

ロシア語圏の国に住んだ時に、映画を観ていればきっと言葉も上達するだろうという淡い期待でいくつかの作品を観始めた。「運命の皮肉」という映画がとても好きになった。その後DVDショップで「どんな映画を探しているのですか?」と聞かれると「運命の皮肉と同じくらいロマンチックで面白いのはありますか?」と答えた。そうして教えてもらった映画の一つが「ピーターFM」だ。

しばらく経って英語字幕版を見つけて観直すまで、どこまで理解していたのか怪しいものだが、話の展開は理解できた。好きな映画というのは自分で適当に空想して細部を補ってしまうから言葉の壁を乗り越える時も稀にはある。映画は総合芸術だから音楽とか場面とか俳優の表情とかで理解できる情報もたくさんある。

そういう空想的な鑑賞の結果としてこの映画にはまってしまった。ヒロインのマーシャはサンクトペテルブルグ(ピーター)のラジオ局の人気DJで、感じのいい声と語りでファンに支持されている。彼女には学校の時からのボーイフレンドがいる。お金持ちでハンサムな彼と婚約しているのだが、何故か気持ちが弾まない。一方で建築家の卵のマキシム君は仕事中に地元局のFM放送を聴くのが楽しみだ。素敵なガールフレンドがいてすべては順調に進んでいたはずだったが、彼女は他の男が好きになり出て行ってしまう。

そんなある日マーシャが落とした携帯をマキシムが拾う。何度もすれ違いが重なってマキシムはマーシャに携帯を返すことができない。携帯で様々なことを話し合っているうちに、恋が芽生える。ようやくハッピイエンドかと思うと、二人をつなぐ唯一の絆である携帯が河に落ちてしまう。他には連絡の仕方も知らない。。。さあどうなるのか?この映画とても良い。

ニキータ・ミハルコフ監督 「シベリアの理髪師」

エコノミストの野口悠紀雄さんが鉄道と人々の出会いについて書いたエッセイの中に1998年のロシア映画「シベリアの理髪師」の話が出てくる。「主人公とヒロインが最初に出会うのも、列車の中だ。この場面は、明らかに「アンナ・カレーニナ」を意識している」という指摘がなされている。ハリウッド版の映画の記憶がおぼろげだが、自由で意志の強いヒロインが悲しい恋をするという映画の雰囲気がよく似ている。

ニキータ・ミハルコフ監督は、若い頃から俳優として活躍した人で、この映画にもロシア皇帝役で出演している。威風堂々とした人で、エリダル・リャザノフ監督の名画「持参金のない娘」に主演した時の2枚目ぶりを思い出した。この映画は「セビリアの理髪師」をもじった題名だけでなく、映画全体にモーツァルトへの敬意が込められている。映画の題名はシベリアの森林伐採機の発明をめぐる話であること、ミハルコフ監督と何度も共演している名優オレク・メンシコフが演じる若い近衛兵がシベリアに流刑となる話であることなどを示していて面白い。

ヒロインと主人公が列車の中で出会う場面がユーモアたっぷりだ。ここでメンシコフはヒロインにモーツアルトのオペラから得意ののどを披露する。悲恋物語のはずなのに笑える場面がたくさんある。ヒロインが流刑になった近衛兵を探し回り、とうとう探し当てる。そこで新たな家庭を築いているメンシコフを見て身を引くところはソフィア・ローレンの「ひまわり」を連想させる。結ばれなかった二人には実は子供ができていた。この子が青年となり、軍隊の訓練でしぼられてもモーツアルトへの尊敬を貫く。この訓練の場面は「愛と青春の旅立ち」を連想した。遊び心がいっぱいの映画だ。

2012年に仕事でシベリアの街クラスノヤルスクを訪れた時に、同僚たちと食事をしながら、この映画の話になった。この辺りで撮影されていたからだ。撮影当時のことを覚えている人がいて話が盛り上がった。クラスノヤルスクはエニセイ河のほとりにある。

ニキータ・ミハルコフ監督「太陽に灼かれて」

この映画は名優でもあるミハルコフ監督の1994年の作品だ。アカデミー賞最優秀外国語映画賞とカンヌ映画祭審査員特別グランプリ賞を受賞した。

ニキータ・ミハルコフとオレック・メンシコフというロシアを代表する二人の俳優が真っ向からぶつかりあう映画で、見応えがある。草原を戦車隊がやってくるのをミハルコフ演じる休暇中のコトフ大佐が止める場面、季節は夏でテラスでくつろぐコトフの家族と友人たちの場面、10年ぶりに舞い戻ってきたメンシコフ演じるピアニストが今はコトフ大佐の妻となっているかつての恋人マルーシャと再会する場面。どれもすばらしい。

このとてつもなく美しい田園風景が延々と続く映画はいったい何の物語なのか?やがて隠されていた様々な秘密が解き明かされていく。圧倒的に美しく、重苦しい映画でもある。ロンドンでも東京でもこの物語は舞台化された。話が複雑なので観るたびに新しく気がつくことがある。文句なしの傑作だ。

パヴェル・チュフライ監督「ヴェラの運転手」

「ヴェラの運転手」はチュフライ監督の2004年の作品だ。映画はモスクワの場面から始まるが、物語はほとんどクリミア半島のセヴァストポリで展開する。ロシアとクリミアの関係を理解するうえでもこの映画は興味深い。軍港都市セヴァストポリにはロシア連邦の海軍基地が現在も存在し、2045年までウクライナからの租借地となっていた。

この映画の主人公ヴィクターを若い頃のトム・クルーズみたいなさわやかな2枚目が演じている。映画は1962年ごろのフルシチョフ時代の物語だ。映画の冒頭に流れるイタリアの歌「クアンド・クアンド・クアンド」が世界的に流行ったのは1961年頃からだそうだ。ソ連の「雪解け」時代を象徴するかのように若くて純朴なこの兵士は、用事でクレムリンに出かけてきたロシア海軍の将軍に気に入られてセヴァストポリ勤務となる。将軍には足の悪い年頃の娘ヴェラがいる。母を亡くしたこの娘は情緒不安定気味な上に、妊娠している。将軍はこのロシア風トム・クルーズに娘を託そうとする。青年にとっては美人だし、将軍の娘だし悪くない話だ。


映画は雪解け時代の明るさの一方で、KGBの暗躍を描く。クレムリンにとって都合の悪い者たちはたとえ将軍と言えども処分されることになる。ただKGBは将軍が隠し持つある事件についての証拠を奪い隠滅するまでは将軍に手を出せない。


1997年の「パパって何?」に続いての名監督チュフライの作品だが、以上のような骨太の話を縦糸にしながら、若者の出世の夢、二人の娘の間での葛藤、やがて心を開いた娘の純愛と盛りだくさんの内容になっている。前半の息詰まるような展開に比べると、話が大きすぎてどう終わっていいのかやや迷った感じはする。面白い佳作だ。

パベル・チュフライ監督「パパって何?」

パベル・チュフライ監督の1997年の作品。汽車の中で母子と男が出会う場面から始まって早いテンポで話が進む。原題は「泥棒」。邦題の「パパって何?」と言うのはピンとこない。戦後のどさくさの中でめぐりあった戦争帰りの粋な二枚目はとてもかっこ良くて、とんでもない奴だった。アパートでの宴会の場面。サーカスの場面。映像も音楽も美しい。

戦後のどさくさの時代の話だから乱暴な言葉が飛び交っているらしいが、ロシア語は意味をとるのが精いっぱいでニュアンスまではわからない。タシケントにいる時に週に3回家の片付けとか手伝ってくれていたロシア人のオーリャ叔母さんは「こんな野蛮な映画を観てどうするの」と本気で心配してくれていた。オーリャさん、はっきり言わせてもらうとこれは名作だ。

ゲオルギ・ダネリヤ監督「秋のマラソン」

タシケントで1979年の映画「秋のマラソン」をみてロシア映画の魅力に取りつかれるようになった。グルジア系ロシア人のゲオルギ・ダネリヤ監督が、同じくグルジア系の俳優オレック・バシラシヴィリを主役にして作った作品だ。

人が良くてちょっと気が弱くて「Noと言えない」中年男のミッド・ライフ・クライシスが描かれている。 秋のサンクト・ペテルブルグの風景が美しい。人生の秋の物語であり、いくつもの夢から夢へのマラソンの物語でもある。この映画の中で時計をセットした主人公はあちらからこちらへと駆け回るのに忙しい。知的な仕事についていてちょっと二枚目だ。優しい性格だからいろいろな人に頼りにされる。やがてあちこちに良い顔をしすぎて困ったことになる。生きていくということは選択することなのだが、この主人公はそれが苦手だ。

主人公を演じたバシラシヴィリは名匠エリダル・リャザノフの作品にも登場する。1977年の「職場の恋」では重要な脇役を演じた。1982年の「二人の駅」では、主役の二枚目を演じている。その時ヒロインをめぐって対立する敵役を演じたのがニキータ・ミハルコフだった。
1963年に若い日のニキータ・ミハルコフが主演した「モスクワを歩く」もダネリヤ監督の作品だ。

エリダル・リャザノフ監督「持参金のない娘」 マリーナのジャムは甘美な味がする

ロシアNOW7月17日号の「電気梨、Hな苺、苦悩の玉葱」というロシアの野菜と果物の名前にまつわるイメージについての記事が面白かった。Hな苺って何だろう?最初に思い出したのは「カリンカ」という有名な歌だ。1994年に西シベリアの石油ガス田のリハビリ・プロジェクトのモニタリングで初めてロシアを訪れた。モスクワで仏の技術者三人と合流して晩飯を食べることになった。音楽のおじさんたちがやってきてリクエストに応えてくれた。仏エンジニアのリクエストで始まった「カリンカ」はカリーナ(がまずみ)の意味だが女性の名前でもある。名前の終わりを「カ」とあ行にすると「カリーナちゃん」になる。この歌には苺類(ベリー)の総称「ヤゴダ」もその一種である「マリーナ」も出てくる。マリーナは木苺(ラズベリー)とも蝦夷苺とも訳される。この名前の女性は多い。タシケントの同僚はマリーナだったし、ビシュケクの同僚はカリーナだった。繰り返しの多い「カリンカ」の歌を聴いていると、これは女性に対する呼びかけの歌に違いないことがわかる。

中央アジアに住んで砂糖が生活必需品であることに気がついた。2010年のキルギス政変が4月の始めに起きると治安維持を理由にお隣のカザクスタンは7月まで国境を閉鎖した。カザクの中心都市アルマーティからキルギスの首都ビシュケクまでは車で4時間くらいだ。様々な物資がカザクからキルギスに輸入されている。キルギスからカザクへは果物や中国、トルコからの量産品の衣類が輸出される。この国境閉鎖でとても困ったのが夏場に砂糖が不足したことだ。生のマリーナはそのままでは保存がきかないが砂糖漬けのジャムにしてしまえば一年を通じて食べられる。冷蔵庫も冷凍庫もない時代からの生活の知恵であり、今でも厳しい冬を乗り切るために欠かせない食品だ。


「Hな苺」からの連想でマリーナを使った色っぽい場面が出てくる映画を思い出した。ニキータ・ミハルコフの「残酷なロマンス」(邦題:「持参金のない娘」)だ。この映画の英語タイトルはcruel romanceと直訳。邦訳はわかり易いがちょっと味気ないと思ったら原作のタイトルの直訳だった。この映画ではミハルコフ監督自身が白馬に乗って登場する粋な二枚目を演じている。美人で歌の上手いヒロインの気を引いてさんざんその気にさせたところで、彼のビジネスが破綻し自慢だった豪華客船を売り渡すはめになる。いろいろな騒動があって哀しい結末となる。


この映画の始めの方でヒロインの誕生日の場面がある。没落しつつある娘の家にとっては裕福な嫁入り先探しの日でもあり、リッチな招待客の男たちに娘のための高価プレゼントをねだる大事な日だ。飲んでさわぐ他の客たちを避けてキッチンの隅にいる粋な二枚目のところにヒロインがやってくる。手に持っているいるのがマリーナの皿。「召し上がる」「ありがとう」となった後で男のひげにマリーナがついてしまった。娘が「ちょっと待って」と指で取る。さりげなくその手を抑えた男はマリーナのついた指をぱくっと舐めてしまう。とても官能的な場面だ。


エリダル・リャザノフ監督 「二人の駅」

名匠リャザノフ監督の1982年の作品。話の筋はかなり凝っていて長旅の途中の鉄道駅で食事をした主人公役を演じるオレック・バシラシヴィリとウェイトレスのヒロインを演じるリュドミラ・グルチェンコの掛け合い漫才のような喧嘩の場面から映画は始まる。この会話劇の面白さは同監督の傑作「運命の皮肉」と共通している。このヒロインがとても魅力的だ。この二人が喧嘩している内に汽車は主人公をこの駅に残して出発してしまう。

主人公の旅人にはは先を急ぐ大変な事情があった。気の毒になった気の良いヒロインは一転して彼にやさしくなる。そこにニキータ・ミハルコフ演じる長距離列車の乗務員でヒロインの恋人が登場する。主人公が中央アジアからの列車が運んできたメロンのたたき売りをする場面も面白い。他の映画ではいつも堂々たる2枚目を演じるミハルコフが、バシラシヴィリの引き立て役に徹している。

前半・後半の構成で、後半の方は徹底的なメロドラマ。妻の交通事故の濡れ衣をかぶって服役することになる男は実はピアニストでとてもかっこいい奴であることがわかる。ヒロインが服役中の男に会いに行く場面も美しい。
映画の中で1969年のハリウッド映画「明日に向かって撃て」のテーマ曲だった「雨に濡れても」(バート・バカラック)が何度も使われている。ヒロインを演じたリュドミラ・グルチェンコは歌手としても人気があったそうだ。


エリダル・リャザノフ監督 「運命の皮肉」

ロシア映画「運命の皮肉」はリャザノフ監督の1975年の作品だ。この映画はロシアの冬の楽しみとしてのサウナの場面が重要な意味を持つ。大晦日の午後に男友だち4人がサウナに集まりビールを飲んで旧交を温める。主人公の婚約の話を聞いた友だちがヴォトカの瓶を取り出し、皆で正体のなくなるまで酔っぱらってしまうことから話が展開する。それで映画の原題は「運命の皮肉 良い湯気を!」というのだが、そのまま訳してもしっくりしないので省略した。

大晦日に様々な国でTV放映されることで有名なこの映画には、いくつもの詩が挿入歌として登場する。中年にさしかかり、それぞれ結婚を控えた男と女が、運命の悪戯のように唐突にめぐり合う。ドタバタ騒ぎの後でお互いに好意を感じてしまう。女は言う。「二人とも少し頭がおかしくなっただけよ。この大晦日が終われば、何もかも元に戻るわ」。ギターを手にした女が歌う場面が渋い。この場面はロシアの人気歌手アラ・ブガチョヴァの吹き替えだ。マリーナ・ツヴェタエヴァの詩に曲をつけたものだ。

 くもった鏡を覗いて
 靄のかかった夢の中から探りあてたい
 あなたの道はどこへ続くのか
 あなたはどこへ錨を下ろすのか
 船のマストが見える  
 デッキの上にはあなたがいる
 連なる大地と煙を上げて走る列車
 黄昏時の憂いに沈んだあなたがいる
 夜露に濡れた黄昏の大地が見える
 その上には渡がらすたち
 あなたに幸あれと祈る
 あなたがこの世界のどこにいようとも
      (刈谷田川の夢 訳)

こういう詩に触れてみて面白いのは日本人の感性に似ているところがあることだ。荒井由美は70年代に彗星のようにデビューしてすぐのアルバムの中で「魔法の鏡を持ってたら、あなたの暮らし映してみたい、もしもブルーにしていたなら、偶然そうに電話をするわ」と歌った。大川栄策が歌った「さざんかの宿」はもっとそのままだ。「くもり硝子を手でふいて、あなた明日が見えますか」。

どんなパートナーといつめぐり合うのか?自分の行く道の果てには何があるのか?自分が今選ぼうとしているその人は本当に自分の運命の人なのか?映画「運命の皮肉」の中にはまだまだたくさんの名曲と詩が挿入されている。この映画が旧ソ連圏で人々に愛され、繰り返し鑑賞されるのにはそれだけの理由と深さがある。多くの暗示に富む素晴らしい映画だ。


2014年10月4日土曜日

滝田洋二郎監督「僕らはみんな生きている」

この映画を1999年の春にウズベキスタンに赴任するしばらく前に観たので思い入れが強い。この年の4月に赴任する前の3月初めに、家探しやら引き継ぎやらで初めて首都タシケントを訪問した。タシケント市内の4か所で同時爆弾テロがあったのはその直前の2月のことだった。映画の中にも爆弾騒ぎが出てくる。映画の舞台となっている国の名前「タルキスタン」もお隣のタジキスタンとトルクメニスタンを足して2で割ったような名前だ。

当時はまだVHSの時代だった。前任者の反応にも興味があったのでこの映画を持参すると、タシケント在住の商社マンの皆さんに回覧されたみたいでなかなか返ってこなかった。観たい気持ちはわかる。この映画のキャストが素晴らしい。真田広之、山崎努、岸部一徳、嶋田久作それぞれ熱演だ。東京から橋の建設のコンペの応援にきた若手のやり手設計者を真田広之が演じた。のんびりしたペースとのらりくらりと嘘をつく現地側の対応にしびれをきらしたこの主人公は「ここは発展途上国ではない!後退途上国だ!」と叫ぶ。しぶい現地所長を山崎努が演じた。クールでシニカルなこの所長は実は政府側と通じている。彼の家族は長い現地駐在の間に崩壊した。

エビ輸入専門商社の駐在員を演じたベンガルもすごい。この駐在員は家族思いで日本から届くビデオレターを楽しみにしている。今度こそ帰れるはずだと思っている彼のもとに一通のテレックス電が入る。後任が見つからないので任期延長という短い便りだった。放心し、怒りにかられた彼は内戦の始まった路上で「バカヤロー」と叫んでいるうちに流れ弾で殺されてしまう。生き残った4人は銃撃戦の繰り広げられた通りを抜けて空港に向かうために叫ぶ。「俺たちは日本のビジネスマンだ。殺さないでくれ」。殺し合いの中でそれに耳を傾ける兵士はいない。銃弾の雨は飛んでくる。この映画を観て平気でいられる駐在員は少ないだろう。

高校同窓の友人が原作漫画 (一色伸幸原作、山本直樹作画)を貸してくれたので全4巻を読んだ。映画の名場面が甦ってきて感動する一方で、違和感もある。長い物語を映画化するにあたってテンポが速くなるのは当然だが、2点について原作漫画と映画は決定的に違う。一つはこの物語全体を通じて重要な役割を果たすセーナの設定だ。映画では男性になっている。当初は原作通りに役を作る予定だったがイメージにふさわしい女優さんが見つからなかったとされている。もう一つはこの物語の結末である。原作漫画と映画のどちらにも味がある。
 

侯孝賢監督「悲情城市」

今のチームに赴任する前の2011年の秋に、台北に出張した。2日間の用事が無事に済んで、台北から車で一時間ほどの基隆、九分(にんべんがつく)という街を案内してもらった。1989年にヴェネチア映画祭でグランプリをとった侯孝賢監督の台湾映画「悲情城市」の舞台となった街だ。映画の舞台となった旧鉱山の町は港町の基隆から山に登っていく坂の上にあり眺望が美しい。とても入り組んだ地形になっている。この映画のテーマである第二次大戦後の混乱期に、政治的な理由で潜伏するのに好都合の地形だ。

この映画に主演した香港のスター、トニー・レオンが台湾語を話せなかったので、口のきけない主人公というシナリオが作られたそうだ。この映画は日本の台湾支配が終り、新たに国民党の支配に移行する内部対立の時代を描いている。言葉に頼らずにインパクトの強い場面をつないだすばらしい映画だ。トニー・レオンにとってこの映画は出世作となり、以後の話題作への出演が続く。2000年の「花様年華」(in the mood for love) は世界的にヒットした。2005年の「ラスト・コーション」もすごい映画だ。


九分は日本情緒の残る街で懐かしい気がした。それは同時に植民地支配の名残りでもある。1930 年のセデック族による抵抗が日本軍によって鎮圧された「霧社事件」を描いた「セデック・パレ」という映画が2011年に台湾で大ヒットした。台北を訪れた時に、この映画のポスターを街で見かけた。日本には2013年の4月に公開されている。この映画はいつか見てみたい。台湾に親日家が多いのは仕事でも感じるが、その一方で植民地時代の記憶が風化していないのも事実のような気がする。






エミール・クストリッツァ監督 「アンダーグラウンド」

バルカン半島の国マケドニアに住んでいた時にこの映画のDVDを見つけたので買っておいた。数年経ってから170分の大作を観た。第一部が第二次大戦下の対独パルチザン時代、第二部が冷戦下のユーゴ時代、第三部がユーゴ崩壊後の内戦時代。音楽とドタバタと色っぽさが満載で魅力たっぷりの映画だ。映画の冒頭で爆撃されている動物園の飼育係イヴァンと猿の組み合わせが狂言回し風に3つの話をつなぐ。マルコとナタリアの恋の物語なのかと思うと、「黒」のニックネームで呼ばれるとんでもない男ペータも入って三つ巴の大騒ぎだ。可愛いしたたか女優のナタリアをナチの将校から取り返すために奮闘するこのペータは、いつの間にかパルチザンの英雄となる。親友マルコとナタリアは、ナチに囚われ拷問されるペータを取り戻すがその甲斐もなくペータは命を落とす。

第二部では戦争が終わったはずなのに地下に立てこもって避難生活を続けながら、抗戦のために武器を造り続ける集団がいる。非業の死を遂げたはずのペータの名声を利用して、マルコはチトーの側近として表の世界で地位とナタリアの両方を手に入れた。地下で生活する集団による密造兵器の売買で活動資金を作っている。マルコはこのビジネスを継続するために外の世界では戦争が続いていることに信じさせるため、インチキ映像と音楽を流す。ここで使われるのがドイツ軍の侵攻を演出するための「リリー・マルレーン」。ナタリアは罪の意識からアル中になる。マルコは叫ぶ「それもこれもお前を愛しているからじゃないか」。やがてこの嘘はばれる。ペータは外の世界に飛び出して行き、錯乱の中で息子を死なせ、自分も命を落とす。

第三部では東西冷戦が終わり、ユーゴ内戦が始まっている。その一隊を率いるのは死んだはずなのに生きていたペータ。武器商人となって国際手配されているのはマルコとナタリア。マルコの弟イヴァンが居合わせてすべてを知る。怒りに震えた弟は兄のマルコを木で打ち据える。瀕死のマルコとナタリアは内戦の兵士に捕えられる。ペータは知らずに、処刑の命令を出す。ようやくめぐり合えた友達と恋人を殺させてしまったことを知ってペータは嘆く。

話の展開が奇抜で劇中の映画撮影の形で似たような場面も繰り返されるので混乱してしまう。第一部だけでも十分に面白い。第二部は共産主義によるマインド・コントロールの比喩みたいな感じがする。第三話は兄弟殺しのユーゴ内戦の批判だ。第一部でナチの空爆に腹を立てて「俺の街を破壊する奴は誰だろうと許さん」というペータは熱い男だ。彼が「黒」のニックネームで呼ばれるのは知識人であるマルコの表の生活を支える影の男と言う意味もあるだろう。「この映画に終わりはない」というタイトルに続いて、ひょっこりひょうたん島のような場所の場面となり、死んだはずの登場人物たちが勢ぞろいで大騒ぎが続く。バルカン半島の重い歴史をテーマにしていながら、とんでもなく猥雑で、途方もない傑作だ。

2014年10月3日金曜日

ジュゼッペ・トルナトーレ監督「ニュー・シネマ・パラダイス」

ジュゼッペ・トルナトーレというイタリアの監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年)はとても好きな映画だ。映画大好きのシシリアのトト少年が都会に出て映画監督として身を立てる。故郷を離れて30年経った今でも若い日の恋を失った記憶がほろ苦い。その痛みを思い出さないように故郷を避けて暮らしてきた。その彼が親の葬式で帰郷すると、いろいろな記憶のピースがようやくかみ合うことになる。30年前に引き裂かれるように別れた恋人との故郷での再会。少年時代の映画漬けの日々の記憶との再会。ほろ苦い話だ。全編を通じて音楽と映像が美しい。

映画の前半はとても楽しい。主人公のトト少年は映画が大好きで上映館に入り浸っている。映写技師のおじさんと仲良しになるが、このおじさんには不思議な仕事がある。「ふらちな場面」をフィルムから切り取ってから上映する仕事だ。さまざまな名画のキスシーンがカットされることになる。そういうフィルムの切りくずが散乱している狭い部屋で火事が起きてしまう。目を怪我したおじさんを助けて小さな映写技師助手としてトト少年の映画修行は本格化する。


映画の後半になってすでにトトは青年になっている。多感なトト君は恋をするのだが良いお家のお嬢さんを好きになっても身分違いの壁が高い時代の話だ。ここで一計を案じたのがトトの理解者である目の見えなくなったおじさんだ。こともあろうにこの人は恋路の手伝いをするどころか、決定的な場面で二人の仲を裂いてしまうのだ。トトの才能を愛するおじさんとしてはたかだか田舎のお嬢さんとの幸せよりは、トトに都会に出て映画修行をしてほしいと願ってのことだろう。トトはその期待に見事に応えて映画監督になるのだが、はていったい彼は幸せになれたのだろうか?難しい質問だ。


ジュゼッペ・トルナトーレ監督「鑑定士と顔のない依頼人」

「鑑定士と顔のない依頼人」(2013年)のイタリア語の原題は「最高のオファー」である。英語のタイトルも「the Best Offer」と直訳されている。2013年後半に日本で公開され、週刊誌やブログの映画評が取り上げていた。沢木耕太郎が絶賛している。「2度観ると味わいが変わる映画」と書いていた。すぐアマゾンで注文した。実に面白い。最後のどんでん返しがあるので、結末を知った後で始めからもう一度観たくなる。この主人公に起きたことが果たして幸なのか、不幸なのか2度か3度観て考えたくなるかも知れない。沢木耕太郎の映画評のブログは他のも面白い。

この映画のトルナトーレ監督と映画音楽の名匠エンニオ・モリコーネのコンビは他にも「ニュー・シネマ・パラダイス」と「海の上のピアニスト」を作っている。10年、15年とインターバルをおいて制作した3作品ともがかなり話題になるのは共通のテーマを扱っていることもある。「ニュー・シネマ・パラダイス」のトト少年が30年ぶりに帰郷する。そして彼の生き方に影響を与えた初恋物語の大きなサプライズを知ることになる。「海の上のピアニスト」で観客は主人公の恋の成就を願い応援するが、最後にサプライズを味わう。「鑑定士。。。」では主人公のシブイ生き方に共感を覚え始めた観客は、やはりサプライズで突き放される。突然のようにやってくる人生の選択が3作に共通したテーマだ。もしも別の選択をしていたらどうなったのだろう?2回や3回観たところで答えは出ない。永遠のテーマである。

「Tin Men」 ボルチモアが舞台のこの映画はほろ苦い

バリー・レヴィンソン監督の映画「Tin Men」の舞台になっているボルチモアは、ワシントンDCとフィラデルフィアを結ぶ鉄道の途中にある。この映画はリチャード・ドレイファスとダニー・デビートのからみがなんとも味があって面白い。映画の題名は二人が省エネ建材の金属板を売るセールスマンであることを示す。この二人のトップ・セールスマンはお互いに自慢のキャディラックがぶつかったことから犬猿の仲になる。

プライドの高い二枚目のドレイファスは口達者なデビートに復讐するために、デビートの奥さんを誘惑しようと言葉巧みに近つく。この映画が壮絶なのはデビートの妻を寝取ったドレイファスが電話をかけて相手を悔しがらせようとするところだ。ところがこの奥さんなかなか粋な女性で、色男は本気で恋に落ちてしまう。お互いに好きになってしまった頃に、彼女にすべてがばれてしまう。男女同権の今の世の中ではとんでもない映画ということになりそうだ。


ダニー・デビートはこのその後人気者になっていろいろな映画に出演するが、まだこの頃はちびでデブでハゲでユニークなキャラクターだった。とんでもなくエネルギッシュだが自己中な夫に無視される女房の役を演じる女優はどんな人だろう。実に渋くて魅力たっぷりなバーバラ・ハーシーという女優さんがこの難しい役を演じている。この女優さんは「ライト・スタッフ」でサム・シェパードの妻の役を演じ、「ハンナとその姉妹」でも三姉妹の一人を演じている魅力的な人だ。


この映画は1987年の作品だ。当時米国東部のフィラデルフィアに住んでいた。列車で3時間くらいのところにあるボルチモアには友達夫婦が住んでいたので冬休みとか春休みに行ったり来たりした。ボルチモアの美術館のマチスのコレクションは素晴らしかった。彼らと一緒に遊びにいったワシントンDCの春の桜も素晴らしかった。この二人はその後別れてしまったので、この映画はこうした思い出の写真と一緒にほろ苦く思い出す。


「グッド・シェパード」 マット・デイモンの魅力

名優ロバート・デニーロが監督し出演もするこの映画はインテリジェンスの世界に興味がある人々からはバイブル的な扱いを受けている。デニーロも出演している「ゴッドファーザー」は極道の世界を舞台にした最高のマネージメントの教科書とも評されている。数々の名作に主演してきたデニーロが、監督としてこれまでの経験と知恵をつぎ込んだ迫力のある映画だ。

主人公を演じるマット・デイモンがとても良い。この人がデカプリオと共演したもう一つの名作「デパーティッド」を観ても明らかだが、そのあたりにいそうな気がするリアリティがすごい。デカプリオのことは嫌いではないが、この人は役より自分の方が目立ってしまう。マット・デイモンの古き良きアメリカ風のどこにでもいそうな雰囲気は貴重だ。


この映画ではアンジェリーナ・ジョリーがマット・デイモンの妻の役で若い頃から老けるまでを好演している。この映画はかなり複雑な諜報活動の教科書でもある一方で、ほろ苦いラブ・ストーリーでもある。なぜほろ苦いのか?誰も決定的に悪いわけではないのに、ボタンの掛け違いでみんなが不幸になってしまう。これもありそうな話だ。


「刑事ジョン・ブック」と「推定無罪」 ハリソン・フォードの魅力

ハリソン・フォードと言えば70年代の「スター・ウォーズ」のソロ船長、80年代の冒険者インディ・ジョーンズ、90年代の愛国者ジャック・ライアンと男の中の男を演じ続けた。次第に渋味を増していった点が高倉健と共通している。この人の主演した作品で好きなものを一本だけ選ぶとすれば1985年のピーター・ウィアー監督「目撃者 刑事ジョン・ブック」だ。1986年から2年間住んだフィラデルフィアが出てくることもあって思い入れが強い。とても美しい作品だ。

ハリソン・フォードが銃撃を受けて故障した車を納屋で修理している場面がある。アミッシュのヒロインが様子を見に来る。車のラジオからこの歌が流れてくる。二人は歌に合わせてステップを踏む。ヒロインを演ずるのは当時売り出し中のケリー・マクギリスだ。映画「トップ・ガン」の超かっこいい教官として覚えている人は多いはずだ。このすてきな二人が何故結ばれて幸せになってはいけないのか?観客の心をぐぐっとつかんで放さないために決まっている。「カサブランカ」も「哀愁」もそういう風に輝き続けている。西部劇の名作「シェーン」を想起するとコメントをくれた人がいる。なるほど。ケリー・マクギリスの目チカラがすごいと指摘した人がいる。鋭い。

ハリソン・フォードはアラン・パクラ監督「推定無罪」(Presumed Innocent, 1990年)にも主演した。この映画の原作者として有名になったのがスコット・トゥローだ。つれあいが当時タイム誌東京支局で働いていた。ヒーレンブラント支局長からサヴィッチシリーズ2作目の「立証責任」(The Burden of Proof)を借りて読んだのもこの頃だ。この作家はシカゴでの検事補としての経験をもとにした作品をたくさん書いた。「訴追期限」(Limitations, 2006年)、「無罪」(Innocent, 2010年)もベストセラーになった。売れっ子作家である現在も法律家としての活動を続けている。


「レッズ」と「アニー・ホール」 ダイアン・キートンについて

「レッズ」は監督・脚本・主演のウォーレン・ベイティの最高傑作だ。「世界を揺るがした十日間」を書いたジャーナリストでコミュニストのジョン・リードとそのパートナーの物語である。ウォーレン・ベイティは若い頃から二枚目俳優でナタリー・ウッドと共演の「草原の輝き」にも主演した。シャーリー・マクレーンの弟でもある。この二本の映画以外にはさほど印象に残るものはない。「レッズ」がこの人をアメリカ映画を代表する俳優にしたと思う。ジョン・リードの恋人役を演じたのがダイアン・キートンだ。この人はジャック・ニコルソン演じる劇作家ユージン・オニールにも愛されるくらい魅力的なのに、いつも自分は何者かという思いを抱えている。「メンドクサイ女」なのだがそれでも愛さずにいられない。そんな微妙な役を若い日のダイアン・キートンが好演している。

ダイアン・キートンにはもう一本「アニー・ホール」という代表作がある。学生時代に見た懐かしい映画だ。1977年のこの映画のカッコよさは抜群で、白いワイシャツと男物のネクタイとベストがとても新鮮だった。ニューヨーカーなる人たちがスカッシュをする場面も初めて見た。実生活でもパートナーだったウディ・アレンとダイアン・キートンが演じる恋人たちの出会いと別れが、実生活と同時進行するようなこの映画はとてもほろ苦い。才気あふれる主人公とかわいいヒロインが出会い恋に落ちる。この神経症的な才気渙発男といつも一緒にいるのがヒロインにとってやがて辛くなる。一度別れた二人が寂しさのあまりふたたび一緒になって、キッチンでロブスターを料理しようとして大騒ぎになる場面はとても美しくて哀しい。


ダイアン・キートンはアニー・ホールで大ブレイクした後、ウディ・アレンと別れてウォーレン・ビーティと恋をした。「レッズ」の迫力は絵空ごとではないからだろう。その後も「ゴッドファーザー」でアル・パチーノの相手役として重要な役柄を演じている。年配の婦人の役をやるようになってからのダイアン・キートンしか知らない人は気の毒だ。とても魅力的な女優だった。