2004年から2007年までギリシャの北に位置するマケドニアで勤務したので、ギリシャには何度となく出かけた。マケドニアの首都スコピエから車で一時間半でギリシャ国境にたどり着く。そこからギリシャ第二の都市テサロニキまでは一時間だ。ギリシャと聞いて連想するのはテオ・アンゲロプロス監督の映画「旅芸人の記録」(1975年)だ。第二次世界大戦前後のギリシャの困難な時代を描いた名作だが、この映画の中に次々と登場する外国の軍隊の移り変わりを見ていると、ギリシャが東西の勢力がぶつかり合って複雑な歴史を持つバルカン半島に位置する国であることがよくわかる。
マケドニアに住んでいたせいか、この映画を観るまではギリシャにネガティブな印象を持っていた。冷戦が終わり、旧ユーゴスラヴィアが解体し、マケドニアが独立した時に「旧ユーゴスラヴィア・マケドニア共和国」という長い名前を付けることになったのは、国連加盟の段階でギリシャが「マケドニア」という国名に反対したからだ。これは歴史上に名高い古代マケドニアが現在のギリシャ北部、マケドニア、ブルガリア南部を含めた地域全体を含む大国だったことに由来している。その後もマケドニアとギリシャの間で名前をめぐる小競り合いが続いた。ギリシャがテサロニケ国際空港を「マケドニア国際空港」と改名すると、マケドニアは対抗するかのように首都スコピエの空港を「アレキサンダー大王国際空港」と改名している。小さなお隣の国を相手に、かつての大国意識を振りかざすのは如何なものかと思っていたが、映画「旅芸人の記録」を見て、この国も周辺の強国の間に挟まれて苦労してきたのだと思った。
ギリシャでは1974年の終わりに軍事政権が崩壊し、その後の民主化の過程の中で赤字国営企業の放置、賃上げ、福利厚生、年金などでの優遇政策がとられ、補助金への依存と赤字財政が恒常化する原因となった。1981年にギリシャは欧州連合の前身である欧州共同体に加盟し、2001年には欧州単一通貨「ユーロ」が導入されたが、赤字財政の実態は公にされないままだった。一方、ギリシャがユーロに加入したことで、ギリシャへの資本流入が加速され経済は表面的には安定していたため、改善すべき構造的な問題が放置されてきた。やがてギリシャ財政の危機的状況が2009年末に政党間の対立の中で表面化した。2010年1月に欧州委員会がギリシャの財政赤字の実態を公言し、ユーロの信用が低下したことを契機に、債務危機が起こり、南欧諸国を中心に広がった。一連の危機の連鎖が「ユーロ危機」と呼ばれる。
2015年1月のギリシャの総選挙で緊縮財政に反対する急進左派連合が第一党になり、左翼政権が成立した。これはギリシャを支援してきたEU、ECB、IMFとの約束を守るために緊縮財政路線を取った前政権が、増税、社会保障費の削減、年金の削減、公務員のリストラを断行したことで景気が悪化し、失業率が25%に上昇したことなどから国民の支持を失ったためだ。今年2月のギリシャの新政権とEUとの交渉は、現在の金融支援を4ヶ月延長することで合意された。EUとしては、支援継続の条件としてギリシャの財政改革は譲れないとしながらも、ギリシャが債務不履行に陥った場合の影響が欧州経済全体に波及することを恐れるため慎重にならざるを得ない。新しい交渉期限である6月末までに、ギリシャがどのように具体的な財政再建策を打ち出すのかが注目されている。
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