2015年12月30日水曜日

アルノー・デプレシャン監督 「あの頃エッフェル塔の下で」

年末の映画鑑賞で不思議な気持ちになった。先日同じ映画館でキログラム原器についてのノルウェイ映画を観た時に、予告篇を観て気になった映画だった。仏版の「ニューシネマパラダイス」かなと思ったからだ。30年ぶりに故郷に戻ってきた中年後期の主人公が、若い日の切ない恋を回想する話としてはトト少年の登場するイタリア映画にかなうものはないと思っている。その系列の仏映画の佳作ならば観てみたいと思った。

実際に観てみるとサプライズの連続だ。ブハラ、デュシャンべなど中央アジアの映像が出てくる。私事になるが通算9年近くを過ごした懐かしい地域だ。引き倒されるベルリンの壁の映像も出てきた。1987年の夏に訪れる機会があった。この壁の崩壊の後に設立された組織で23年働いた。

さて本題に入る。この映画は、初恋の回想物語としてはいささか謎めいている。美しい郷里の娘に恋をする。大人びた魅力的な娘だった。人類学を学びたい主人公の若者は大都会のパリに出て二人は離れ離れになる。去るものは日々に疎しでやがて別離がある。その30年前のある意味で平凡な恋物語にどういうサプライズがあると言うのだろうか?この点ではイタリア映画の傑作「ニューシネマパラダイス」とは異なっている。いくら回想したところで謎は残るという意味だろうか。字幕でどこまで理解できているのか歯がゆい気持ちになったが、仏語は理解できないので仕方がない。

2015年12月4日金曜日

ベント・ハーメル監督 「1001グラム ハカリしれない愛のこと」

2014年の東京国際映画祭に出品されたノルウェイ映画だそうです。キログラム原器をめぐる物語なので、英語で「1001 grams」という風変りなタイトルがついている。 淡々とした味わいと人生について静かに考えさせる雰囲気はワインとミッドライフ・クライシスを描いたアレクサンダー・ペイン監督の「Sideways」を思い出させる。ヒロインのマリエを演じたアーネ・ダール・トルプが素晴らしい。国立計量研究所に勤めるヒロインは、堅物の変わり者。前半の場面ではあんまり美人に見えないこのヒロインは気難しい表情をしている。彼女の結婚生活は破綻して夫とは離婚裁判の継続中。気の良い父は老いて死期が近い。文字通り杓子定規であることが求められる仕事の影響なのか堅苦しい日々が淡々と続く。

ヒロインがキログラム原器についての国際会議に出席するためにパリに出張することになったのが、きっかけですべてが変わりだす。この辺りは大人の童話仕立て。まずは愛する父が死んでしまう。離婚調停中の夫は自分の留守に何もかも持ち去ってしまう。動揺したヒロインは運転を誤り、自慢のエコカーごと横転する。大怪我にはならなかったが、大切なキログラム原器の容器に傷がつく。この辺りはこれでもか、これでもかと彼女のこれまでの人生に疑問を投げかけるような試練が続く。切羽詰まったヒロインを助けるのがパリの出張中に出会ったなんだかほんわかした包容力のある男である。話が都合良すぎるなどと思うのは筋違いだ。これは大人の童話なのだろう。

この映画の最大の魅力は、ストーリーの展開に沿って、初めは無表情で、気難しそうだったヒロインの、様子や表情が魔法のように変化していくことだ。この映画を観終わった頃にはすっかりこのヒロインが大好きになっていた。最後のラブ・シーンがとてもきれいで幻想的ですらある。あまりにロマンチックな映像なので、最後の秀逸な台詞に「えーそれもありか」とびっくりした。プログラムで映画評論家の佐藤忠男が「素敵な映像のぬくもり」と温かくコメントしている。

2015年11月10日火曜日

五藤監督映画「花蓮」 行方市ロケ地上映会 2015年11月8日

霞ケ浦の湖魔女委員会の主催により、五藤利弘監督の映画「花蓮」ロケ地上映会が行方市麻生公民館の大ホールで開催された。五藤監督、道川昭如カメラマン、ダブルヒロインの一人陽子役を演じた浦井なおさん、故郷映画つながりで五藤監督の栃尾映画を応援している豆撰の多田さんご夫妻など、県外からの五藤監督ファンも参加。大ホールはほぼ満席に近かった。このイベントを計画、実行された湖魔女委員会の皆さんの故郷への気持ちと映画「花蓮」を愛する気持ちが参加者に伝わってとても暖かい雰囲気のイベントだった。

上映会の後の懇親会で素晴らしく盛り上がったイベントについて「東洋の魔女が起こした奇跡みたい」とコメントしても映画製作にかかわったスタッフと出演者の皆さんはきょとんとしている。このコメントは栃尾関係者と湖魔女の皆さんにだけはすぐ通じた。若いスタッフの作った映画に、古い時代の冗談が理解できる年代のファンが感動するのも故郷映画の面白さだと思う。

故郷をテーマにした「花蓮」は、これから生きて行く道を考えている若者たちについての映画である。大都会である東京、霞ケ浦湖畔の蓮田のある町、留学と出稼ぎにからんで異国であるタイと3つの場所がからんで、若者たちが再会、出会い、別離、出発を経験する。この点では空間的な広がりを感じる映画と言えそうだ。今回、映画のロケ地を訪れて、広大な霞ケ浦を眺めて、その向こうにある東京やさらに向こうのヒロインの故郷バンコックのことを感じる気分を味わった。

ロケ地上映会のもう一つのお土産は霞ケ浦の歴史に触れてこの映画の時間的な広がりを感じたことだった。行方市にある西蓮寺は映画「花蓮」の重要な場面に登場する。この天台宗の名刹は奈良時代の782年に創建され桓武天皇に縁がある。境内には樹齢千年を越える大銀杏があり、境内の古木の一つも映画の中の重要な場面に使われている。主人公の若者とその幼なじみの二人が地元でレンコン農家を継いで生きていく決意をしたことも、映画のヒロインであるカレンが自分の生きて行く場所としてタイを選ぶことについても、土地に結び付いた歴史や、世代を越えた人々の想いに関わっているような気もする。

この映画はパソコンで観る機会があってとても好きになったので何度かブログに感想を書いたが、行方市のロケ地を回ってみるといろいろ新しく感じることもあった。タイに行ってロイクラトンというお祭りも観てみたくなったのもその一つ。上映会の打ち上げで熱燗を酌み交わしながら、タイで灯篭流しとコムロイをみて映画「花蓮」を語る会をやりたいねという話で盛り上がった。











2015年9月1日火曜日

五藤利弘監督短編映画上映会 於アオーレ長岡(JR長岡駅前)、9月23日

9月23日に新潟県長岡市で「五藤利弘短編映画上映会」 (主催:長岡アジア映画祭実行委員会) が予定されている。5本の短編(30分)が上映される稀な機会。上演される5本の作品のうちの3本について簡単に紹介したノートを書いているのでご参考まで。

http://kariyadagawa-screen.blogspot.co.uk/2015/02/blog-post.html


http://kariyadagawa-screen.blogspot.co.uk/2014/12/blog-post.html


http://kariyadagawa-screen.blogspot.co.uk/2014/12/a-bouquet.html


長岡市出身の五藤利弘監督は「ゆめのかよいじ」、「花蓮~かれん~」などで静かなブームを呼んでいる。「想い出はモノクローム」は五藤監督の栃尾三部作(上京篇を含めて)の第一作「モノクロームの少女」の序章とも言える。「雪の中のしろうさぎ」はTVでも人気の石橋杏奈さんがヒロインなので、名作「ゆめのかよいじ」ファンには必見。「鐘楼のふたり」は五藤作品の名脇役として登場することの多いモロ師岡さんの魅力を味わう作品という見方ができる。モロさんは「倍返しだ!」の台詞で大ブームとなった番組でも渋い演技が光っていた。「ジョフクの恋」は青春時代にキャンディーズのファンだった人には見逃せない。ヒロインを演じた趣里さんはは蘭ちゃんのお嬢さん。「ブーケ」は「花蓮~かれん~」で三浦貴大さんが演じた若者のお母さんを演じた円城寺あやさんを見たいファンのための作品と言えそうだ。


会場は長岡駅前の「アオーレ長岡」。入場無料。


11:00~ 『ジョフクの恋』(42分)

12:00~ 五藤利弘監督舞台挨拶
12:10~ 『鐘楼のふたり』(42分)
13:00~ 『ブーケ ~a bouquet~』(40分)
13:55~ 『想い出はモノクローム』栃尾ロケ映画(20分)
14:15~ 五藤利弘監督×バックスクリーントーク
14:30~ 『雪の中のしろうさぎ』十日町ロケ映画 (32分)


主催 長岡アジア映画祭実行委員会

2015年8月19日水曜日

江利チエミさんのこと

FB友だちのTさんが「わたしはサザエをしばらく休業する。わたしはナカタである」という謎めいたコメントを投稿したのは今年の始めのことだ。この謎解きをすべく、わたしも村上春樹の「海辺のカフカ」を読んだ。自分のことを「サザエ」と呼んでいたのは、元気で溌剌として、時々忘れ物をする辺りが似ているからだとTさんは自分で分析されている。この人はその時々の気分で陽気なサザエさんになったり、猫語を解するナカタさんになったりするらしい。

「サザエさん」は長谷川町子さんが書いた昭和を代表する漫画だ。わたしが子供の頃に江利チエミ主演でドラマ化された。「サザエさん」の他にもいくつかの名作ドラマがある。「咲子さん、ちょっと」というドラマも好きだった。FB友だちのRさんによると、このドラマのモデルになっているのは中村メイコさんと彼女の家庭だそうだ。小泉博が夫役で、伊志井寛と京塚昌子が嫁ぎ先の両親の役を演じた。ドラマの中で歌われた「新妻に捧げる歌」は中村メイコ作詞、夫の神津善行作曲だ。

初期の「テネシー・ワルツ」も良いが、この人はもっとアップテンポのものを歌ったほうが声の魅力が引き立っている。戦後の米軍キャンプ回りで歌唱力を鍛えたらしい。まだ新人で人気者になる前の高倉健さんは、大スターだったチエミさんを追いかけて、相手にされなくてもめげずに頑張り結婚したそうだ。中年を過ぎてから人に騙されて巨額の負債を負うなど不幸が続き、健さんとも離婚した。晩年の絶唱「酒場にて」は辛すぎる感じがする。離婚してから独身のまま、昨年暮れに亡くなった健さんもチエミさんのことをずっと好きだったのではないかと思う。お二人の冥福をお祈りします。

今井雅之さん追悼 ドラマ「深川の鈴」の思い出

今年の5月に俳優の今井雅之氏がご逝去された。この人が出演したTVドラマのVHSがわが家に残っている。19981月に放映された川口松太郎原作の「深川の鈴」だ。小説家志望の青年と子供を抱えながら深川で寿司を握っている女性の物語だった。ヒロインを演じた田中裕子の魅力が光るこのドラマで、一歩も引かないどころか、田中裕子演じる魅力的なおかみさんを夢中にさせる青年を清々しく演じていた今井氏のご逝去は残念だった。DVD化されてほしいなと思う名作だ。川口松太郎「人情馬鹿物語」からドラマ化された短編3話の一つだ。常盤新平氏がエッセイの中で、この物語は川口松太郎氏の実話に基ずいているのではと推理している。この小説をきちんと読んでみたくなった。

亭主に死なれて深川で寿司屋を一人で切り盛りしているおかみさんがいる。働き者で気立てがいい。小さな子供を抱えて女手一つでは大変だろうと世話を焼く人がいて、小説家志望の青年と縁談がまとまる。物心つき始めた子供は階下の部屋に寝かせているが、何かあったらすぐ様子が分かるように母と子の足を細紐でつないで鈴が鳴るようなっている。その鈴をチリリンと鳴らすのは寝ている子供ばかりではない。田中裕子演じるおかみさんは、しばらくすると青年に静かな口調で語りかける。「別れましょう。このままいたら、あんたは小説を書くことを忘れてしまう。相性が良すぎるみたいだし」。しみじみした味わいが記憶に残る作品だ。

田中裕子はNHKの朝ドラでブレークしたせいか、爽やかな印象が強いが、時折り妖艶さを感じさせる作品でも好演している。高倉健と共演した降旗康男監督の「夜叉」がすごい。小林薫と共演したドラマ「仕立て屋銀次」で演じた侠客の一家の跡取り娘の演技も色っぽさが際立っていた。戦後の日本映画の妖艶な美女と言えば、黒澤明監督の「羅生門」のヒロインを演じた京マチ子が最高だ。大地喜和子がその系譜につながる女優だと思っていたが、事故で早世したのが残念だ。その後と言うと田中裕子ということになる。近年の宮沢りえは透明感のある色気が目立つようになったが、「妖艶」という言葉で形容されるものとは違う。

加藤武さん追悼 今村昌平監督「豚と軍艦」の思い出

故郷長岡市出身の五藤利弘監督の「モノクロームの少女」でモノクローム写真の女性の父親役を演じた加藤武さんがご逝去された。ご冥福をお祈りいたします。加藤さんが演じたのは栃尾の造り酒屋のご主人の役だ。この場面が撮影されたのは、地酒「越乃景虎」で名高い栃尾の諸橋酒造だ。新潟県長岡市の奥座敷とも言うべき栃尾は有数の豪雪地帯として知られている。春になると緑の棚田が広がり、秋は黄金色の稲穂が美しい。栃尾は上杉謙信が幼少期を過ごした土地でもある。景虎は上杉謙信が若い頃の名前だ。「越の景虎」は五藤監督の栃尾3部作の上京篇とも言える映画 「スターティング・オーヴァー」 にも登場する。

国際開発関係者の集まりでご一緒しているK先輩が、2011年秋の三越劇場での新内の公演に出演されたのを見に行った時に、加藤さんはゲスト出演されていた。渋い美声だった。去年のW文春連載の春日太一という人の「木曜邦画劇場」というコラムで、加藤さんが演じた主要作品として「豚と軍艦」が紹介されていた。年末にロンドンの老舗書店フォイルズのDVDセクションで今村昌平監督「豚と軍艦」と「盗まれた欲情」(2本で1枚)、「人間蒸発」を見つけて買っている。思いがけないクリスマス・プレゼントだった。

「豚と軍艦」は懐かしい映画だ。都営三田線の白山駅の近くに「映画館」というジャズ喫茶があった。場所は変わったが今もあるはずだ。親切なおばさんがほとんど一人で切り盛りしていた。夜になると息子さんであるマスターが来るが、来ないときもあった。マスターは映画の助監督だったので忙しい時はお店どころではなかった。昼間のお店がヒマな時には珈琲一杯で何時間いても追い出されないどころか、時々 「ついでだから食べなよ」 とスペシャルメニューが出てきた。中島みゆきの「店の名はライフ」という歌がある。「最終電車を逃したと言ってはたむろする。。。」。そういう感じの店だった。


この喫茶店では月例くらいで映画の上映会があった。マスターの好みがとてもはっきりしていた。「豚と軍艦」、「からゆきさん」(今村昌平監督)、「じゃぱゆきさん」(山谷哲夫監督)はこの店の上映会で観た。「豚と軍艦」は若くてきらきら輝いている頃の長門裕之の主演作品だ。ヒロインは吉村実子。丹波哲郎、加藤武、小沢昭一など重厚な脇役陣がすごい。

2015年8月16日日曜日

静御前の墓と猫又権現 五藤利弘監督「モノクロームの少女」

源義経を思う一途な気持ちで有名な静御前の墓の所在地については全国に諸説ある。その一つによれば新潟県長岡市栃尾にある栃掘の高徳寺もその幻の墓の所在地とされている。栃尾の美しい風景を舞台にした五藤利弘監督の映画「モノクロームの少女」にもこの伝説は登場する。栃尾名物の油揚げ店「豆撰」さんの「お元気ですか おてがみれしぴ」にも紹介されている。このパンフは豆撰さんを2014年の夏に訪問した時にTさんからいただいた。読みごたえのある栃尾紹介だ。油揚げ料理のレシピも付いている。静御前ばかりでなく、弁慶と富樫のやりとりで有名な「勧進帳」の舞台となった関所がどこにあったかについても諸説あるそうなので、栃堀のお墓も本当かも知れない。

この映画には長岡市栃尾にある南部神社というお社も登場する。境内に猫の石像があって、「猫又権現」とも呼ばれる。招き猫で縁起が良いとして、商売繁盛を願う人も参拝するらしい。この神社は鎌倉時代末期の武将新田義貞に縁があるそうだ。後醍醐天皇に呼応して、群馬を拠点にしていた新田義貞が挙兵した時に、越後の国の新田氏の一族も参加した。その挙兵の日に祖先の霊を慰めるための供養が、毎年5月8日に行われる。南部神社の「百八灯」と呼ばれる伝統行事である。暗闇の中に数千のろうそくの灯りが浮かぶ幻想的な光景だ。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%BE%A1%E5%89%8D



 

2015年7月31日金曜日

ジェームズ・マーシュ監督「博士と彼女のセオリー」

この映画は20149月にトロント映画祭で公開され、主演のエディ・レッドメインがアカデミー賞主演男優賞を受賞したことなどで話題になった。英テレグラフ紙の独占インタビューをもとにしたインデペンデント紙の2015年731日付けの記事がある。博士の最初の妻だったジェーン夫人が、博士の闘病と夫人の看病が映画に描かれた以上に大変だったことをインタビューで語っている。同年516日付けの英ガーディアン紙の記事では「わたしたちの結婚は夫と私と病気と物理学研究の4者で成り立っていた」という夫人の言葉が紹介されている。

ジェーン夫人の回顧録に興味を持った脚本家がシナリオを書き、映画化の交渉をし、監督を指名してこの映画が作られたそうだ。1942年生まれのホーキング博士が筋肉に指令を送る神経に問題がある病気と診断されたのは1963年で、まだ学生時代のことだ。余命2年と医師に宣告される。ジェーン夫人は周囲の懸念をものともせずに1965年に博士と結婚する。ところがここで奇跡が起きた。博士の病気は回復こそしなかったものの、当初の医師の見立てを異なり、進行が止まる。その後の博士の宇宙を専門とする理論物理学者としての活躍はメディアに何度となく報じられてきた。

さて余命2年のはずの恋人との結婚に踏み切ったジェーン夫人は、1991年にとうとう離婚に踏み切る。難病の患者と結婚の決断をしてから26年の歳月が流れ、夫婦の間には3人の子供がいる。ジェーン夫人は博士の看護に疲れてしまう。鬱々とした日々の中で訪れた教会の合唱団の練習で新たな出会いをする。1977年のことだから結婚してから12年の時間が流れている。離婚までさらに14年の時間が流れる。離婚の決断のきっかけになったのは、その後に2番目の妻となった看護師の女性に博士を任せることができるようになったことらしい。

天才科学者で難病を患った人の闘病と愛の映画といえば、今年交通事故で逝去されたジョン・ナッシュ博士夫妻を描いた「ビューティフル・マインド」がある。どちらの映画も主演男優の演技が神がかっている。ニュースなどで知っている博士自身が映画に出演しているかのような気持ちになった。


スティーブン・ダルドリー監督 「ビリー・エリオット(リトル・ダンサー)」

テレビでこの映画を観たつれあいの強い推薦があったのでDVDを買ってきた。この2000年の英国映画の舞台となっているのはイングランドの北東部で、スコットランドに近いダラム周辺の小さな架空の炭坑町だ。英国の炭鉱を舞台にした映画というと、ジョン・フォード監督の名作「わが谷は緑なりき」(1941年)を思い出す。こちらはウェールズが舞台だ。「ビリー・エリオット」の冒頭もしみじみした感じで始まるので、こちらもかなり昔の設定なのかと思ったら、時代設定が1980年代でびっくりした。1984年の英国炭鉱ストライキがこの映画の背景になっている。この頃に日本で会社員だったわたしにとっては「まだ記憶に新しい同時代」だが、この映画の中ではすっかり「歴史の中の一時期」だ。

この映画の主人公ビリーをめぐる環境は厳しい。小さな政府を実現することで英国病からの脱却を図ったサッチャー首相(在任1979年-1990年)の時代だ。英国石炭庁が不採算炭鉱の閉鎖と大規模な人員合理化の方針を発表したことをきっかけに英国全土に広がったスト派と反スト派と治安当局の三つ巴の衝突の様子が映画の中にも繰り返し登場する。ビリーの母が病気で亡くなったことも、残された家族にはまだ生々しい記憶だ。祖母は年老いてきた。父は妻を失って以来元気がない。兄は行き場のない気持ちをぶつけるようにして組合運動にのめり込んでいる。一家の大黒柱である父と兄がそろって炭鉱ストに参加しているので、収入も途絶えた一家は厳しい状態にある。クリスマスの晩に母の思い出のピアノをハンマーで叩き壊し、暖炉にくべて暖を取る場面が象徴的だ。

炭鉱町で男らしく生きていけるようにという願いを込めて、父は息子ビリーにボクシングを習わせる。ところがビリー少年はボクシングよりも、同じ公会堂のバレエの練習が気になって仕方がない。やがてそれを父に知られてしまう。父はそんな「女々しいこと」に興味を持つ息子を許さない。ところがどうしてもあきらめない息子の姿を見ている内に「もしかしたらこの子には才能があるのかも知れない」と気がつく。田舎の炭鉱町の夢みたいな話だが、この一家にようやく見えた希望の光だ。頑固一徹だった父はビリーの資金作りのためにスト破りを決意する。組合のリーダーであるビリーの兄に見つかり、親子での格闘になる。頑固なわからず屋親父が「ビリーの望みを叶えるためなら、どんな非難を受けてもかまわない。スト破りでもなんでもする」と叫ぶ場面で、涙をこらえるのは至難の技だ。

主人公である11歳のビリー少年を演じた子役のジェイミー・ベルの演技が圧倒的だ。バレエの先生とのやりとり、幼なじみのゲイ少年マイケルとのやりとり、父とのやり取りの場面のそれぞれでまだ14歳くらいの少年だったこの子役の横顔がとても大人びて見えるのが印象的だ。やがて父に連れられたビリーがロンドンの英国王立バレエ学校のオーディションに臨む場面がこの映画のクライマックスだ。ビリーはバレエダンサーとして成功し、父と兄をロンドンの舞台に呼ぶ。この短い場面で大人になったビリーを演じているのが、現実世界で2005年公開のマシュー・ボーン演出「白鳥の湖」で主役を演じたアダム・クーパーというバレエ・ダンサーだ。この人も英国王立バレエ団の出身だそうだ。

この物語は映画としてヒットした後で、エルトン・ジョンの作曲でミュージカルとなった。日本でも2014年に公開されている。映画の中に幼なじみのゲイ少年が登場するだけでなく、映画の結びの部分に登場するマシュー・ボーン版「白鳥の湖」も同性愛をテーマにしている。ミュージカルを作曲したエルトン・ジョンも有名な人なので、この物語を少数者の趣味と選択の自由についてのメッセージ映画として観ることも可能だ。


2015年7月24日金曜日

小林正樹監督 「人間の条件」

新潟県人会のIさんとワインを飲みながら好きな映画の思い出になった。その時に話題になった映画(小林正樹監督、1959-1961年)だ。新珠美千代さんが素敵だったという点でも意見が一致した。学生時代に新宿のオールナイト上映で観た映画だ。第1部から第6部までを観るには、ほぼ10時間かかる大作だ。学生時代に観た映画として記憶の片隅に放ってあった。岩波現代ライブラリーで原作が読めるようになったので、さっそく買って書棚に置いてある。

この映画を思い出したのは、今年になってから哲学者ハンナ・アーレントを描いた映画を観たのがきっかけだった。このドイツで製作された「官僚的な組織の中で命令に従い、思考を停止することが悪につながる」というアーレントの主張を描いた映画を観て、五味川純平原作の映画「人間の条件」を思い出した。仲代達矢演じた主人公の梶は、日本が支配する満州国で良心的な管理者として生きることを希望して、国策会社の経営する鉱山に赴任する。彼は「極悪人」ではないし、「考えることを停止できる人間」でもない。自分の良心と非人間的な植民地的経営との間で板挟みになり、苦しみ抜く


この映画で圧倒的に印象に残るのは宮口精二演じる王亨立が、主人公梶に語りかける場面だ。日本軍の軍需をまかなう鉱山の経営にあたって「人間的」であろうとする主人公はとうとう組織に逆らう行動を取ることになる。それまでは植民地の経営側の「良心的な高官」だった主人公は、自分の良心に従うことを決める。梶は兵役免除の特権を失い、国策に批判的な危険分子として、兵役に就くことになる。それは愛する妻と引き裂かれるような別れを意味する。この映画はまだそこでは終わらない。一兵卒としての梶が軍隊の苛酷さを経験し、戦場での生き残りのための辛酸を舐めた後で、満州の荒野の雪の中で死んでいくことになる。自分の心を試されるような気がする怖ろしい映画でもある。


2015年7月16日木曜日

張芸謀監督「単騎、千里を走る」 と 謝晋監督「芙蓉鎮」

張芸謀 (チャン・イーモウ) 監督の「妻への旅路」という映画が今年3月に日本で公開されたという記事を読んだ。文革で引き裂かれた夫婦が長い年月を経て、ようやく再会すると妻は夫を認識できなくなっていたというところから始まる物語らしい。観てみたいものだ。

中国の文革映画と言えば2008年に亡くなられた謝晋(シエ・チエン)監督の「芙蓉鎮」(1986年)の記憶が鮮明だ。この映画が日本で公開された1988年頃は日本の会社で燃料関係の仕事をしていた。中国の大慶油田の輸入交渉に参考になるかも知れないというので、職場の上司たちと観に行った記憶がある。この映画は湖南省の地方都市が舞台だ。屑米を利用して作った豆腐料理屋が繁盛していたことを妬まれ、地方を牛耳っていた党の役人ににらまれるようになったヒロイン夫婦の運命は暗転する。失意の底でも生きる気力を失わないヒロインの健気さが感動を呼ぶ映画だった。罪人として道を清掃しているヒロインが、バレエを踊るかのようにほうきをくるくる回しながら自分も回る場面がとても印象的だった。

張監督は「単騎、千里を走る」で高倉健さんを起用した人だ。一月の有楽町スバル座の健さん追悼上映を友人と二人で観たのが懐かしい。この映画は中国雲南省と日本が舞台で、中国での撮影は張監督が、日本での撮影は降旗康男監督がそれぞれメガホンをとった。健さん演じる主人公は妻を失くして以来、息子との交流が途絶えていた頑固な父親を演じた。その息子が病に侵されて死期が近くなる。ほとんど途切れていた絆を手さぐりするような気持ちで、この父親は何か息子にしてやれることはないかと考える。それで選んだのが息子の研究していた中国の古い仮面舞踊を撮影するため中国の山奥の村を訪ねることだった。仮面舞踊のテーマとなっている「三国志演義」の故事が映画の題名になっているそうだ。はるばる日本からきた主人公を歓迎するために道端にテーブルが出され、村人総出の宴会となる場面が印象的だった。また雲南省の岩山の風景がすばらしい。岩山の道で健さんと服役中の父を待つ幼い男の子が道に迷ってしまい途方に暮れながら、村人たちに見つけてもらうまで一緒に時間をすごす場面がこの映画のハイライトだ。主人公にとってはタイムマシンに乗って、幼い頃の息子に再会したかのような不思議な味わいの映画になった。

ロンドンでも夏になると道端にテーブルを出してご町内の皆さんが料理を持ち寄るイベントがある。最近のニュースで酒宴が大騒ぎに発展した話を聞いてびっくりした。道端の酒宴が、和やかなものになるか、酒を飲み過ぎて大騒ぎになってしまうかはそれぞれのご町内の雰囲気次第ということになる。近所のチズイックに住む友人からも夏の始めに「ストリート・パーティー」があって楽しかったという話を聞いて羨ましかった。中央アジアに住んでいた時でも、コーカサスに出張した時でも、夏は庭にテーブルを出して宴会をやるのは当たり前だった。懐かしい思い出だ。





2015年6月1日月曜日

映画「ビューティフル・マインド」を観て考えたこと

DVDでロン・ハワード監督「ビューティフル・マインド」(2001年)という映画を観ていて主人公の病気について、思うところがあった。見終えてから調べてみるとこの映画の主人公の病名「スキゾフレニア」は現在では「統合失調症」と訳されている。この病気は21世紀になるまで「精神分裂症」という名前で呼ばれていて、今では新しい名前になっていることを知らなかった。この映画を観て少なからず動揺した。これまでこういう病気の人はなんらかのきっかけで、現実の世界とは違う別の世界に住んでいるのだろうかと思っていた。映画の中では、妄想の中の人たちが現実の人たちと共存していて、それを主人公が意識している。これは今まで想像したことがない状態だ。
 
20代の頃に事情があって、この分野の本はかなり読んだつもりだったが、今でもわからないことが多い。2002年になって、日本で病名が変更された理由について、ウィキペディアでは以下のような説明がなされている。
-  日本では、「精神分裂病」という名称から「精神が分裂する病気」と解釈され、ひいては「理性が崩壊する病気」と誤って解釈されてしまうことがあった。
-  患者の家族に対して社会全体からの支援が必要とされておりながら、誤った偏見による患者家族の孤立も多く、その偏見を助長するとして患者・家族団体等から、病名に対する苦情が多かった。
-  医学的知見からも「精神が分裂」しているのではなく、脳内での情報統合に失敗しているとの見解が現れ始め、学術的にも分裂との命名が誤りとみなされてきた。

この映画はだいぶ前につれあいに勧められて、「いつか観る映画」の保存ケースにDVDをしまったままになっていた。1994年にゲーム理論の研究でノーベル賞を受賞したジョン・ナッシュ氏と夫人が交通事故で今年の5月に逝去されたとの報道を読んで、映画をケースから取り出して観てみた。統合失調症を患いながらも数学者としての研究と教育者としての活動を続けた同氏の苦闘の記録であり、それを支えた夫人の物語である。主演のラッセル・クロウも熱演だが、夫人の役を演じたジェニファー・コネリーが素晴らしい。大学の教室で才気の光る数学の天才の魅力をいち早く発見し、家庭を築くまでの部分で、この映画はこれまで観たハリウッド映画の恋物語の中でもベストの部類に入る。やがて物語は暗転する。常人とは異なる並はずれた才能のきらめきは統合失調症というとても複雑な病気の投げかける不思議な影でもあったことが明らかになってくる。

この映画を観た感想を日本に住んでいるつれあいに電話で伝えていたら、話がかみ合わなくなった。わたしはかつては「精神分裂病」と呼ばれた病気が、様々な症状を持つものであること、それは必ずしも理性や人格の崩壊を伴うものではないということをこの映画とその解説を通して知り、奇妙に興奮していたので、その部分ばかりを話していた。つれあいの方はジェニファー・コネリーが熱演した夫人の献身的な役割に興味が集中していたので、お互いの話が空回りした。わたしもつれあいもはっきりと口にはしなかったが、この映画のことを話しながら連想していたものは同じだったはずだし、それを話題にしたくない気持ちも共通していた。わたしが10代の半ばから、つかず離れずの感じだが長い間かかわった人が似たような症状で苦しんでいたことをわたしのつれあいは知っているからだ。

長く曖昧模糊のまま続いた状態だったが、それはわたしの生き方に大きな影響を与えた。昔はそういう病気に対して「社会の偏見」は大きかった。これは私自身の偏見が強かったということでもある。わたしは自分が直面した事態を誰にも話せないことがらのように感じていた。その人と付き合っていたことを長い間、自分の親にも話していないし、友だちにも話せなかった。発端は中学生の頃からその人が気になったことだった。高校時代が過ぎて、大学生になっても付き合う機会がなかったが、空想の中でその人は存在していた。東京で一人暮らしをするようになると何度かその人の夢を見た。風の吹き回しなのか、学生生活の最後の年にようやく再会できた。長い間憧れていた人との関係がぎくしゃくするのには半年で十分だった。そして社会人になり3年が過ぎた。その頃はその人の不思議な状態を引き受けることができるとも思えなくなっていたが、別れを切り出すこともできなかった。不安定な状態が続いた。

最初の出会いから10年ほど経った頃に、その人の家族を交えて話し合った。不安定な状態を解消するのが重要だという結論になった。自信はなかったが、他にどうしてよいのかも考えつかなかった。それが最初の結婚だった。現実の生活らしいものは続かなかったので、長らく続いた関係はすぐに終わった。空虚感が残った。恥ずかしくて逃げ出したいような気持ちも強かった。離婚したことは親兄弟以外には言わなかった。会社でも秘密にしていたし、かつての自分を知っている友だちからも遠くなった。酒を飲むことが多かった。

やがて生活を変えたいと思い始めた。数年がかりになりそうだったが日本を飛び出す方法を思いついた。それが会社派遣の資格を得て留学することだった。それからは仕事をしながらでも、昼飯を食べながらでも、酒を飲みながらでも、上司たちと麻雀を打ちながらでもいつもアメリカのことだけを考える生活を続けた。英語のペーパーバックも読み始めた。キャロル・キングもジョン・レノンも一生けんめい聴いた。その頃のアメリカは「希望」だった。1986年にその夢が実現した。アメリカで過ごした初めての外国生活で多少は変わることができたと思う。そして今のつれあいと一緒になった。それから長い時間が過ぎた。なんとか高校・大学時代の友人だったA君と連絡をとりたいと思うようになった。IT革命のおかげで消息を辿ることができた。30数年ぶりに再会を果たした時はなんとも言えない気持ちだった。


ジョン・ナッシュ氏の闘病の様子を描いた映画をみて動揺したのは、そんな風に自分の人生に影響を与えた人がどういう風に生きていたのかを、おそらく自分は正しく理解していなかったのかも知れないと思ったからだ。考えても仕方がないことだ。もう30年以上も昔のことだ。その人の消息も知らない。それでも映画を観て複雑な気持ちになった。




2015年5月13日水曜日

五藤利弘監督 「花蓮~かれん~」をめぐる論争 陽子派VS花蓮派

五藤利弘監督の映画「花蓮~かれん~」で浦井なおが演じたもう一人のヒロイン「陽子」の気持ちについて、FB友だちのTさんがブログで書いているのを読んだ。きたきまゆが演じたタイから来た娘「花蓮」は自己主張のしっかりした女性だが、純粋な元カノの気持ちを「ひかえめだが、強い想いを抱き続ける日本女性の伝統」に結びつけて論じている。Tさんは書いた。「浦井なおさんが、花蓮と青年を見つめる心の内を、苦しさを、そしてどうして私ではダメなのかを、素直に表現している」。なるほどのコメントだ。わたしの最初の感じ方とも違っていたので新鮮だった。

わたしの見方もぶつけてみた。「高校時代につき合っていた二人の再会はほろ苦くて、懐かしい。二人とも東京の大学に行ったのにいつか遠くなった。男は故郷に帰って就職した。親のレンコン農家を継ぐかどうか気にしないではいられない。娘は東京での人生を夢見た。やがて都会に疲れた娘は帰ってくる。二人の気持ちが再燃する。娘は結婚を意識する。男はためらう。今さら恋だろうか? だとしたら、かつての別れの切なさは何だったのか? 元カノは都会で恋をしただろうか? 結婚って何だろう? 打算ではないのか? 嫌いではないが、迷わずにはいられない」。三浦貴大が好演した主人公の若者の気持ちをそういう風に感じたのである。


Tさんから一刀両断のコメントが返ってきた。「それでも純な想いに変わりはありません。私自身の40年前の気持ちを思い出しました。」。このコメントは深い。「泥に落ちても根のある奴はやがてハチスの花と咲く」という蓮の花のイメージに近い。年月が流れても、いろいろなことがあったとしても純な気持ちは変わらない。そういうことはある。追い打ちで、コメントが返ってきた。「この年齢でこういう話題を楽しめるのは映画の力でしょう」。快刀乱麻とはこの人のことだ。こちらも反撃を試みた。「若い日の気持ちを思い出すことは今の年齢でしかできない贅沢でしょう。香り高いヴィンテージの酒になっていることもある。乱暴に扱ったので酢になっていることもある」。人はそれぞれ自分の経験という窓枠の形に合わせて世の中を眺めている。このことはわが身を振り返れば明らかだ。人生いろいろで面白い。


2015年5月11日月曜日

五藤利弘監督「花蓮~かれん~」と栃尾南部神社の行事「百八灯」について

郷里である新潟県長岡市栃尾に南部神社というお社がある。先週の木曜日の5月8日に、「百八灯」という行事があったそうだ。栃尾で名物の油揚げの名店を切り盛りされているTさんに教えていただいた。さらにわたしもこの神社をすでに見ていることを教えられた。長岡出身の五藤利弘監督の​監督の映画「モノクロームの少女」(2009年)に登場するからだ。栃尾を舞台にしたこの抒情的なファンタジー映画は確かに観ているが、登場した神社にこのような行事があるとは知らなかった。隣の見附で育ったので、生まれた栃尾について知らないことが多い。

この神社は「猫又権現」とも呼ばれる。写真を見ると本堂の前にある一対の狛犬に加えて、境内に猫の石像がある。昔から養蚕業の蚕を食べるネズミに困った人たちが、ご利益があるようにと祈ったそうだ。招き猫で縁起が良いとして、商売繁盛を願う人も参拝する。神社にある説明によると、この神社は鎌倉時代末期の武将新田義貞に縁があるそうだ。後醍醐天皇に呼応して、群馬を拠点にしていた新田義貞が挙兵した時に、越後の国の新田氏の一族も参加した。その挙兵の日が5月8日なので、祖先の霊を慰めるために供養を行うようになったのが「百八灯」の由来だとされている。暗闇の中に数千のろうそくの灯りが浮かぶ幻想的な光景は写真でみても迫力がある。来年は是非、実際に見てみたいものだ。


南部神社の「百八灯」の写真を観ていると、どこかで見たことがあるような、懐かしい気持ちになった。去年の夏の夜に、訪れた伊豆の修善寺で似たような光景を見たことを思い出した。万灯供養とか万灯会と言われる行事は仏教で仏様を供養し、犯した過ちを悔いて、罪の消滅を祈る行事だそうで全国各地にあるものらしい。面白いのは、仏教に由来する行事なので日本に限られないことだ。五藤利弘監督の「花蓮~かれん~」の中にも、タイの国でたくさんのランタンを夜空に放ち、川に灯篭を流す行事にまつわるエピソードが登場する。それぞれに違いはあるだろうが、仏様と祖霊に祈りをささげる気持ちは同じだ。あちこちの知らない土地や国で、こういう気持ちを共有しているのはうれしい気持ちがする。

映画「花蓮~かれん~」は去年の秋に、長岡アジア映画祭他で限定公開された。この映画を観る機会があったので、ブログに感想を書いた。若者と二人の女性の恋物語の部分を強調した感想だ。「蓮の花」の美しさについて書いた部分が気に入っていた。それから半年経ち、海を越えてやってきたヒロインの孤独感についての部分を書き足した。タイの国の祭りについて書き足した部分が気に入っている。今年5月から始まる本格上映のために用意された映画のチラシに、ブログに書いた感想の一部を紹介していただいた。好きな映画なのでうれしい。何回か映画を見直すごとに新たに気のつくところがあって面白い。






2015年5月9日土曜日

新潟県の栃尾を思い出す映画 「WOOD JOB! ~神去なあなあ日常」

20145月に公開された矢口史靖監督の「WOOD JOB! 神去なあなあ日常」を、その年の夏に帰省する飛行機の中で観た。原作は三浦しおんの「神去なあなあ日常」という小説だ。徳間文庫に入っている。高校を卒業して、三重県の山奥の村で伐採の仕事を経験することになった若者が人々と触れ合う中で、成長していく物語だ。主役の若者が林業に興味を持ち、応募するきっかけとなったヒロインを長沢まさみが演じている。わたしにとっては彼女の魅力を発見した映画になった。この映画の舞台が三重県の山奥であるにもかかわらず、わたしの郷里である新潟県長岡市栃尾を思い出させる二つの理由がある。

第一は、この映画の中に豪快な奇祭が出て来ることだ。今年の正月に帰省して、和島の新年会で飲んでいる時に、「栃尾の奇祭」の話題になった。知らなかったので「どんな祭りですか?」と訪ねると、隣に座っていた人たちが「説明させたいの?」と目で返事するだけで、その場はうやむやになった。3月にその奇祭が行われた時に、友人がFBで教えてくれた。「ほだれ」は「穂垂れ」と書く。地域の豊穣と繁栄を祈る伝統的な行事だ。子宝を願う行事でもあり、新たにお嫁さんになった人たちの中から、祭りへの参加者を募る。「神去りなあなあ日常」に登場する祭りで、山に登る参加者は男性に限られるが、祭りの精神は、穂垂れ祭りと共通だ。

第二は、芦沢明子氏がこの映画を撮影したことだ。この映画は全編を通じて、森の場面が美しい。若手の染谷将太を主役に起用してコミカルな場面を多用しているが、森の映像の美しさによって、さりげなく幽玄な物語に切り替わっていくところがこの映画の魅力になっている。芦沢明子氏は新潟県長岡市の栃尾を舞台にした五藤利弘監督の「モノクロームの少女」、「ゆめのかよいじ」を撮影した人でもある。この2本の映画も緑の風景が圧倒的に美しく、忘れがたい印象を残す。

余談になるが、この映画と同じ三浦しおんの原作で2013年4月に公開された、石井裕也監督の映画「舟を編む」も素晴らしかった。主演の松田龍平も好演だったが、ヒロインを演じる宮崎あおいがキラキラしていた。この人がしばらく前に時代劇大河ドラマの主役を演じたときには気が付かなかった輝き方だった。これで小林薫が脇を固めているので、面白いに決まっている。

2015年5月7日木曜日

ギリシャの思い出とテオ・アンゲロプロス監督の映画「旅芸人の記録」

2004年から2007年までギリシャの北に位置するマケドニアで勤務したので、ギリシャには何度となく出かけた。マケドニアの首都スコピエから車で一時間半でギリシャ国境にたどり着く。そこからギリシャ第二の都市テサロニキまでは一時間だ。ギリシャと聞いて連想するのはテオ・アンゲロプロス監督の映画「旅芸人の記録」(1975年)だ。第二次世界大戦前後のギリシャの困難な時代を描いた名作だが、この映画の中に次々と登場する外国の軍隊の移り変わりを見ていると、ギリシャが東西の勢力がぶつかり合って複雑な歴史を持つバルカン半島に位置する国であることがよくわかる。

マケドニアに住んでいたせいか、この映画を観るまではギリシャにネガティブな印象を持っていた。冷戦が終わり、旧ユーゴスラヴィアが解体し、マケドニアが独立した時に「旧ユーゴスラヴィア・マケドニア共和国」という長い名前を付けることになったのは、国連加盟の段階でギリシャが「マケドニア」という国名に反対したからだ。これは歴史上に名高い古代マケドニアが現在のギリシャ北部、マケドニア、ブルガリア南部を含めた地域全体を含む大国だったことに由来している。その後もマケドニアとギリシャの間で名前をめぐる小競り合いが続いた。ギリシャがテサロニケ国際空港を「マケドニア国際空港」と改名すると、マケドニアは対抗するかのように首都スコピエの空港を「アレキサンダー大王国際空港」と改名している。小さなお隣の国を相手に、かつての大国意識を振りかざすのは如何なものかと思っていたが、映画「旅芸人の記録」を見て、この国も周辺の強国の間に挟まれて苦労してきたのだと思った。

ギリシャでは1974年の終わりに軍事政権が崩壊し、その後の民主化の過程の中で赤字国営企業の放置、賃上げ、福利厚生、年金などでの優遇政策がとられ、補助金への依存と赤字財政が恒常化する原因となった。1981年にギリシャは欧州連合の前身である欧州共同体に加盟し、2001年には欧州単一通貨「ユーロ」が導入されたが、赤字財政の実態は公にされないままだった。一方、ギリシャがユーロに加入したことで、ギリシャへの資本流入が加速され経済は表面的には安定していたため、改善すべき構造的な問題が放置されてきた。やがてギリシャ財政の危機的状況が2009年末に政党間の対立の中で表面化した。20101月に欧州委員会がギリシャの財政赤字の実態を公言し、ユーロの信用が低下したことを契機に、債務危機が起こり、南欧諸国を中心に広がった。一連の危機の連鎖が「ユーロ危機」と呼ばれる。

20151月のギリシャの総選挙で緊縮財政に反対する急進左派連合が第一党になり、左翼政権が成立した。これはギリシャを支援してきたEUECBIMFとの約束を守るために緊縮財政路線を取った前政権が、増税、社会保障費の削減、年金の削減、公務員のリストラを断行したことで景気が悪化し、失業率が25%に上昇したことなどから国民の支持を失ったためだ。今年2月のギリシャの新政権とEUとの交渉は、現在の金融支援を4ヶ月延長することで合意された。EUとしては、支援継続の条件としてギリシャの財政改革は譲れないとしながらも、ギリシャが債務不履行に陥った場合の影響が欧州経済全体に波及することを恐れるため慎重にならざるを得ない。新しい交渉期限である6月末までに、ギリシャがどのように具体的な財政再建策を打ち出すのかが注目されている。


2015年4月8日水曜日

ラッセ・ハルストレム監督 「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」

1985年の「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」はラッセ・ハルストレムというスエーデンの映画監督の自伝的な作品だ。少年時代を回想する映画としては、イタリア映画の傑作ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」の雰囲気に似ている。少年の初恋の相手らしいボーイッシュな女の子とのやりとりや、スエーデン美人のお姉さんが彫刻家のためにヌードモデルになる場面で、屋根から覗こうとして落ちて来る場面、ガラス工場での手伝いの場面、目が良く見えないお爺さんのために色っぽい週刊誌を読んであげる場面など、何とも言えない可笑しさと、懐かしさと哀愁が入り混じる感じが最高だ。

映画の題名である「犬としての私の人生」がすごい。この映画の主人公である犬好きの少年は、自分が厄介な目にあったり、不幸な出来事が起きるたびに、自分は「帰ってこない人工衛星に乗せられた犬よりはましだ」と考える。これは実話に基つくものだ。1957年11月に打ち上げられたソ連の人工衛星にはライカ犬が乗っていた。ソ連はその後何度も宇宙船に犬を搭乗させ、その多くを生還させたそうだが、この名誉ある宇宙飛行犬第一号の場合は始めから行ったきり帰れない旅だった。ガガーリンが初めて有人の人工衛星で宇宙を飛んだのは1961年のことだから、宇宙開発の研究のための貴重な犠牲になったわけだ。


この少年の母親は結核で余命いくばくもない。映画の中では母親の病状が悪化したために、親せきの家に預けられる少年の落ち着かない気持ちと、元気だった母親とすごした昔の時間を懐かしむ気持ちが、新しい仲間たちと一緒に経験した様々な事件や出来事を回想する物語の中で、哀愁を込めて描かれている。「犬のように」母親の気をひかずにはいられない気持ち。親戚に預けられて新しい環境に適応しようとする緊張感。母親の死、可愛がっていた犬の死を通じて自分の境遇を人工衛星に乗せられた犬の境遇と比べてしまうほどの寂寥感。この映画監督が自分の少年時代を思い出して「犬のような生活」と形容しているのには様々な意味が込められているようだ。


この映画監督はこの作品で認められ、その後も多くの名作を作っている。トビー・マグワイア主演の「サイダーハウス・ルール」(1999年)にしても、ジュリエット・ビノシュ主演の「ショコラ」(2000年)にしても、俳優たちの魅力が引き出された傑作だ。2011年の「砂漠でサーモン・フィッシング」も不思議な味わいの映画だ。魔法のような効果でチョコレートが人間たちを元気にした映画「ショコラ」の感じによく似ている。

2015年4月7日火曜日

ケイト・ウィンスレットの魅力 米ドラマ「ミルドレッド・ピアス」

2011年のこのTVドラマシリーズでケイト・ウィンスレットはエミー賞を受賞した。それだけの熱演だ。1941年の原作本があり、1945年に映画化された作品のリメイクだ。1930年代の大恐慌時代のアメリカが舞台となっている。ケイト・ウィンスレット演じるしっかり者のミルドレッド・ピアスは夫と二人の娘がいる平凡で幸せな家族の奥さんだった。夫は羽振りが良くてしゃれた車を乗り回すビジネスマンだったが、大恐慌の後の不景気で会社が倒産してしまう。仕事を失ったのみならず浮気をしている夫をミルドレッドは追い出してしまうが、娘二人を抱えて途方に暮れる。リセプショニストなどの仕事を探すが、不景気の時代でなかなか仕事はみつからない。家事手伝いの仕事が見つかりそうになるが、プライドが邪魔をして自分から断ってしまう。

やがて背水の陣でウエィトレスを始めて、レストランを切り回すノウハウを学んだミルドレッドは得意のパイ作りの腕を活かしてレストランを始める。この商売は成功する。富豪で色男のボーイフレンドもでき、ミルドレッドにもようやく運が向いてきたかに見えるとドラマな新たな展開を迎える。最初は末娘の病死。この病死を母親が危篤の子供の側にいなかったせいだと思いこんだ反抗期の姉娘は母親を心の片隅で憎むようになる。そのことを薄々感じる母親は、娘の愛情を取り戻すためにすべてをつぎ込んでも、この娘を何者かに育て上げようとし、選んだのがピアニストの道だった。ミルドレッドのレストラン・チェーンは成功するが、姉娘のピアノの修行は挫折してしまう。この段階で母娘の関係は一度破局を迎える。やがて和解すると、今度は娘を歌手として成功させようと夢中になり、やがては会社の金をつぎ込んでしまう。この辺りからとんでもない裏切りのドラマが連続して息もつかせない展開となる。アメリカ版の「女の一生」だ。


1945年の映画ではジョーン・クロフォードがアカデミー主演女優賞を受賞した。この映画化にあたっては監督はベティー・デイビスの主演を望んだそうだが、脚本を読んだベティ・デイビスは拒否したという話がある。確かにど迫力の物語で優雅さには欠ける話の展開だ。ジョーン・クロフォードで映画化されると作品の迫力のためか人気を呼び、ジョーン・クロフォードにとっては女優としてのキャリアの後半を代表する作品になった。その後、ベティ・デイビスとジョーン・クロフォードはとても仲が悪かったと伝えられているので因縁深い作品なのかも知れない。


ミルドレッドという名前はサマセット・モーム「人間の絆」でも重要な役割を演じる女性の名前でもある。こちらも猛烈な女性だった。「人間の絆」のミルドレッドは、困って世話になるつもりだった主人公に振られた腹いせに、住まわせてもらった部屋をめちゃめちゃに叩き壊して出て行く気位の高さが印象的だが、それに加えて上昇志向が強いこと、自分の美貌に自信があること、意識的であれ無意識にであれ男たちに甘えるところと利用するところは、ミルドレッド・ピアスの物語と共通と言えそうだ。



2015年4月6日月曜日

ラッセ・ハルストレム監督 「砂漠でサーモン・フィッシング(Salmon fishing in the Yemen)」

ラッセ・ハルストレムというスエーデンの映画監督がいる。1985年の「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」、1999年の「サイダーハウス・ルール」、2000年の「ショコラ」と佳作を作り続けてきた人だ。「サイダーハウス・ルール」のトビー・マグワイアにしても、「ショコラ」のジュリエット・ビノシュ」にしても他にたくさんの出演作があるが、彼らがもっとも魅力的に輝いている特別な映画と言えるだろう。

この監督による2011年の英国映画が「砂漠でサーモン・フィッシング」だ。イエメンの砂漠にダムを造ってサケを放流し、やがては砂漠を緑化したいと夢見るイエメンの金持ちがいて、主人公である水産専門家の博士とコンサルタントのヒロインがその夢の実現に努力する。最初はコメディにしか思えないが、このイエメンの金持ちがしきりに「信じることーfaith」を強調するあたりでなにやら映画は神秘的な雰囲気を帯びてくる。この辺りが魔法のような効果でチョコレートが人間たちを元気にした映画「ショコラ」の感じによく似ている。


主人公の博士にはジュネーブに赴任したキャリア・ウーマンの妻があり、ヒロインにはアフガニスタンで行方不明となっている恋人がいる。さあ、どうなるのか?と観客をはらはらさせながら、砂漠の中のダム建設も進んでいく。やがてヒロインの恋人がアフガニスタンの戦場から奇跡の生還をとげると、博士の恋は終わってしまうのだろうかと観客は感情移入する。そう思わせてからの最後のひとひねりが面白い。主役の二人が運命の出会いをすることによって、それまでの組み合わせが壊れてしまうあたりでほろ苦さは残る。単純なおとぎ話を装っているが、かなり深い話なのかも知れない。


二つのカップルがある事件をきっかけにばらばらになり、新しいカップルが生まれる物語と言えば、有名なロシア映画「運命の皮肉」を思い出した。モスクワとサンクトペテルスブルクでそれぞれに新年を迎え、結婚に踏み切る予定だった大人のカップル2組が、奇想天外な理由で場所が入れ替わり、元に戻ろうとして大騒ぎするが、やがて二人は運命の出会いをしてしまったことに気がつく。すべての出来事が大晦日に起きるので、今でもこの日になると旧ソ連圏の国々のテレビで放映される伝説の映画だ。このイエメンの夢物語とどこか似ている。




2015年4月2日木曜日

「ハンナ・アーレント」と「人間の条件」について

ドイツ、ルクセンブルク、フランスで共同制作され、これらの国とアメリカで大ヒットした2012年の映画(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)を観た。ナチの高官だったアイヒマンは南米に逃亡していたが、1961年に諜報機関モサドに拉致され、イスラエルで戦犯として裁判にかけられる。映画の中に、この裁判の記録フィルムが挿入されている。ドイツ系ユダヤ人で、アメリカに亡命していた哲学者ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、この裁判についての記事を書く。その主張は、アイヒマンは「極悪非道な悪魔の化身」などではなく「巨大な犯罪に関わった組織の中の凡庸な官吏」にすぎないというものだ。彼女はアイヒマンの責任は問われるべきであり、絞首刑は妥当としているので、減刑を求めているわけではない。

アーレントは「人間にとって考えることが大切で、それを停止すれば普通の人間でも怖ろしい罪を犯してしまう」と強調する。それだけならもっともな主張だが、「ユダヤ人指導者の中にも考えることを停止してナチに協力した人々がいた」と付け加えてしまったので、ユダヤ人同胞からのバッシングを受けることになる。ホロコーストの責任者であるドイツの戦犯を裁くことが生き残ったユダヤ人にとってのわずかな慰めであるにも関わらず、この哲学者は国籍に関係なく、思考を停止した人間に共通の問題としての悪を分析する。この理論のために、アーレントは同胞からの批判と憎悪を一身に浴びることになった。


「官僚的な組織の中で命令に従い、思考を停止すること」が悪につながるというアーレントの主張を描いたこの映画を観て、五味川純平原作の映画「人間の条件」(小林正樹監督、1959-1961年)を思い出した。仲代達矢演じた主人公の梶は、日本が支配する満州国で良心的な管理者として生きることを希望して、国策会社の経営する鉱山に赴任する。彼は「極悪人」ではないし、「考えることを停止できる人間」でもない。自分の良心と非人間的な植民地的経営との間で板挟みになり、苦しみ抜く。梶のような人間は哲学者アーレントの2分類の中間のタイプということになるのだろうか。良心に照らしての思考が停止しているわけではない。組織の方針に逆らったらどんな目に遭わされることになるのか、組織の中で生きることからの脱落を選ぶのか、家族は大丈夫だろうか、その他の様々なことを忖度した上で、組織の歯車になることを選んだ人たちもいるだろう。そういうふうに生き延びた人たちが、戦犯アイヒマンと同様に「思考を停止した凡庸な悪人たち」としてひと括りにされるのであれば、アーレントのような理論を唱える人は「傲慢で冷徹だ」ということになるのかも知れない。


この映画ではアーレントと、師であったドイツの哲学者ハイデガーの関係も詳しく描かれている。ハイデガーが親ナチの立場でヒトラー政権下で栄達を続けたことは、ユダヤ人であるアーレントを失望させた。自分の学者としての出発点を作った恩師であり、愛人でもあったハイデガーとナチの関係をどう考えるかについてアーレントは苦しんだようだ。おそらく「極悪人としてのナチ協力者」ではなく、かつては素晴らしい学者であった恩師ですら「思考を停止」した時点で本来の彼自身ではなくなったという理解が彼女には必要だったような気がする。この点では「冷徹非情」と批判されたアーレントの理論はとても「人間的な」議論だった可能性がある。


2015年4月1日水曜日

ロブ・ライナー監督 「The Bucket List」

この2007年の映画はしばらく前にFBグループで話題になった。「The Bucket List」は「死ぬ前にやりたいことのリスト」くらいの意味だ。長い邦題「最高の人生の見つけ方」がついている。映画好きのFB仲間が邦題が気に入らないと文句を言っていたが同感だ。イタリア映画の傑作「The Best Offer」に「鑑定士と顔のない依頼人」という邦題がついたのと同じくらいの原題からの離れ方だ。この意味不明の邦題になったのは、英語の原題を和訳するのが難しかったからだろう。英語で「kick the bucket」は「死ぬ」ことを意味する言葉だが、その由来を調べると英文の辞書には2説出ている。一つは首を吊って死ぬ時にバケツを台に使うからで、もう一つは、バケツというのが昔農場で豚を屠殺する時に吊るす梁を示す言葉で、死ぬ前に豚が暴れて梁を蹴るところからきたというものだ。バケツを台にするのは自殺の時だから、梁を示すという説の方がもっともな感じがする。

この映画の話は単純で、まるでハリウッド版のイソップ物語だ。モーガン・フリーマン演じる主人公は読書が趣味で、博識のクイズ名人で、黒人で、自動車修理工で、若い頃に恋女房に子供が出来て大学をあきらめ、歴史の勉強をする夢も諦めて生きてきた男だ。妻に愛され、子供たちに恵まれ、孫たちにも恵まれているが、どこかで自分の人生を「これで良かったのだろうか」と考えている。今更考えても仕方がない。彼はすでに老人であり、ガンと宣告され余命数ヶ月だ。ジャック・ニコルソン演じるもう一人の主人公は裸一貫からたたき上げて大富豪になった白人で、何度も結婚したが、同じ回数だけ離婚もしている。一人で自由にやりたいことをやり、すべてに成功して欲しいものは何でも金で買える身分だ。娘も孫もいるのに会えないことを寂しく思っているが、今更考えても仕方がない。彼もすでに老人で、ガンと宣告され余命数ヶ月だ。

生きてきた世界も境遇も大きく異なる二人が、同じようにガンと宣告され余命数ヶ月と宣告されたところから、このハリウッド版のイソップ物語は始まる。二人はガンの化学療法でお互いが苦しむ姿を見ている内に共感し合い、友だちになる。やがて「バケツ・リスト」を作り、なんでもやりたいことをやってから死のうと決めて、大富豪のプライベート・ジェットで世界の果てまで旅に出る。スカイ・ダイビング、夢のレーシングカー、ピラミッドへの旅、万里の長城でバイクで走る、ヒマラヤへの旅と手当り次第に、これまでに夢見ていたことを叶えていくが、最後にそのリストを達成することになるためには、一番欲しいが、一番怖れていたものに直面する必要があった。物語は単純明快で「ハリウッド的」かも知れない。それでもこういう映画を観て良い気持ちになるのは悪くない。

2015年3月30日月曜日

チャールズ・ダンス監督 「ラベンダーの咲く庭で」

この映画は英国で2004年に製作されている。サウンドトラックが素晴らしいので、このところ車の中でCDをいつも聴いている。英国の南西部にあるコーンウォール地方の海岸が映画の舞台になっている。船から落ちて浜に打ち上げられた若者を二人の初老の女性が助けるところから話が始まる。怪我をしている若者の看病をしながら、とても幸せな時間が流れた後で、やがて別れの時が来る。この若者は天才的なヴァイオリニストで、これから大きな都会に出て羽ばたくことを予感させる物語だ。

その羽ばたきのきっかけを作るのが、この避暑地で夏を過ごしていた若く美しい女流画家である。彼女がその若者の才能を見出し、ヴァイオリンの名匠である兄のところへ旅立たせることになる。この若者を失いたくない老ヒロインは、この画家に嫉妬し、若者に対する恋心に苦しむ。この映画が不思議なくらいに美しいのはその老嬢が燃え上がる恋心に戸惑う様子が、まるで庭に咲くラヴェンダーの花の妖精が乗り移ったかのように瑞々しく感じられることだ。


この映画の印象はどこかギリシャ神話のオデュッセウスの物語に似ている。ラファエロ前派の画家 J.W.ウォーターハウスの「ユリシーズに杯を差し出すキルケ」という題の絵を思い出した。マリオ・バルガス・リョサ「悪い娘の悪戯」(八重樫克彦・八重樫由貴子訳)の表紙になった絵だ。キルケという妖精に魅入られた男たちは様々な動物に変身させられてしまうが、英雄ユリシーズはこの妖精の術にはまることなく仲間たちを救い出す。ユリシーズというのはローマ神話の英雄でギリシャ神話のオデュッセウスのラテン語名が英語化したものだ。中学校の英語の教科書にオデゥッセウスが妖精カリプソに別れを告げる場面を今でも覚えている。


この二枚目の英雄は航海の途中で、様々な困難に出会うが、行く先々の島で妖精たちに助けられる。引き止められが、やがて旅立ちの時が来て、妖精たちは別離の辛さに苦しむことになる。ウォーターハウスは古代の神話や伝説をテーマにした絵をたくさん描いている。ロンドンに赴任したばかりの頃に「エコーとナルシス」のレプリカを買った。あちこちの国を転々としたが、今でも部屋に飾ってある。



2015年3月15日日曜日

秋吉久美子の魅力 森田芳光監督「の・ようなもの」 藤田敏八監督「赤ちょうちん」

フェースブックが凄いのはいろいろな人の投稿から連想するものがあるからだ。「究極のメロンパン」を売っている「のもの」ショップというお店の名前の話から、森田芳光監督の映画「の・ようなもの」(1981年)を久しぶりに思い出した。秋吉久美子さんが粋なお姉さんの役を演じている。二つ目の落語家の生活を描いたこの映画は何とも言えないとぼけた味でしみじみしていた。森田監督は亡くなられたが、杉山泰一監督、松山ケンイチ主演で「の・ようなもの のようなもの」という続編が今年公開予定だそうだ。観てみたい。

秋吉久美子と言えば、個人的には「赤ちょうちん」(1974年)が代表作だと思っている。日活青春映画の佳作をたくさん撮った藤田敏八の監督作品だ。大ヒットした南こうせつの歌の人気をねらって作られたはずの作品なのだろうが、この映画は名作だ。高岡健二にとっての代表作となり、脇を固めた長門裕之も好演している。


「赤ちょうちん」の脚本を書いた中島丈博という人は黒木和雄監督で映画化された「祭りの準備」(1975年)というすごい脚本を書いている。長岡出身の五藤利弘監督の「スターティング・オーヴァー」(2014年)はこの系列に属する青春映画で好きな作品だ。

2015年3月10日火曜日

衣笠貞之助監督「地獄門」 遠藤盛遠とその後の文覚上人のこと

衣笠貞之助監督は1953年に映画「地獄門」でカンヌ国際映画祭のグランプリと米アカデミー賞名誉賞と衣装デザイン賞を取っている。書店のDVDコーナーで、この映画を何気なく手に取り、後ろカバーの解説を読んでいて驚いた。これは「袈裟と盛遠」の物語でもある。ヒロインの袈裟を京マチコ、ヒロインにひたすら横恋慕する侍を若い長谷川一男が演じている。映画の原作は菊地寛の「袈裟と良人」という物語だ。

芥川龍之介の「袈裟と盛遠」は新潮文庫「羅生門・鼻」の中に入っている。2008年の夏に、ロシア語訳のMP3をペテルスブルクで見つけて以来、気になっている。同じ歴史上の物語を題材としながらも、2冊の題名は異なっている。菊地寛はストーカーとなった侍に殺された美女とその夫に焦点をあてた貞女物語を書いた。芥川龍之介の「袈裟と盛遠」は殺された美女と殺した若武者の凄絶な心理ゲームを描いたものだ。芥川の短い物語には、黒沢明監督が映画化した「藪の中」と共通するものがある。


事件を起こした若武者盛遠は当時19歳だったとされている。罪を反省した盛遠は死罪を免れると、出家しやがて文覚上人となり、歴史に名を残している。神護寺、東寺、東大寺、江の島弁財天などの修復にも貢献したそうだ。ウィキペディアなどによると出家以前の盛遠のことが書かれているのは「源平盛衰記」で、その後伊豆に流され、その地で出会った源頼朝に平家追討を勧めた人だとされている。とても面白い人物だ。手塚治虫もこの人に興味を持ったようで「火の鳥 乱世編」の中に登場させている。





2015年3月9日月曜日

上田秋成「雨月物語」の伝統を継ぐ映画たち 

フェースブックを観ていたら骸骨が抱き合っている写真があった。スクリーンの向こう側に人が立つとこちら側にいる人たちには骸骨だけが見えるという仕組みだ。いろいろなカップルが出てくる。最後にメッセージが流れる。「愛は人種の違いを越える」、「愛は年齢を越える」、「愛は性別を越える」などなど素敵な動画だった。

この動画を観てすぐに連想したのは上田秋成の雨月物語の中の「浅茅が宿」を基にした怪談で、都から戻ってきた薄情な夫を優しく迎えた新珠美千代さんの美しさだ。朝になって残っていたのは骸骨と黒髪だけだったという凄絶な物語だ。三国連太郎演じる薄情な男を待ち続け、とうとう再会できたので恨みに思う気持ちが消えて成仏して消えたのか? いったんは男をあちらの世界への道連れにしようと思ったけれど朝が来たらばかばかしくなって一人で成仏することにしたのか?小林正樹監督の傑作である「怪談」(1965年)の中の「黒髪」の場面である。


「浅茅が宿」の物語は溝口健二監督の「雨月物語」(1953年)でも取り上げられている。田舎暮らしに飽きて出世のために都に上る男を演じたのは森雅之だ。哀れでけなげな妻を演じたのは田中絹代だった。こちらは都の暮らしにも飽きて男が戻って来ると、すでに妻は死んでいるが、残された子供が元気に生きている。同じ物語に題材を取っても、小林作品では男の顔に死相が現れるのが結末で、溝口作品では子供を育てる役割を背負う男には再生の希望が見える結末となっている。


小林正樹監督の「怪談」に話を戻すと、こちらにはラフカディオ・ハーンの原作でよく知られている「耳無し芳一」の物語も出てくる。琵琶法師の奏でる音色に聞きほれて法師を迎えにくる丹波哲郎演じる平家の落ち武者とその仲間たちの想いが見事に描かれた作品だ。「雨月物語」も「怪談」も彼岸と此岸の境界で強い思いを抱き続けて彷徨う者たちを描いた日本映画の傑作だ。


日本映画の伝統に脈々と流れる「想い続ける力、彷徨う力」というテーマにこだわった作品としては、郷里である新潟県長岡市出身の五藤利弘監督の「ゆめのかよいじ」と「モノクロームの少女」がある。どちらの作品も物語の構造としては、伝統的な怪談映画に近い。勢いのある若手の俳優たちを起用したせいか、活き活きした青春映画にもなっている。新潟県長岡市栃尾を舞台にしたこの二つの作品はどちらも映像が美しい。生まれた土地だったり、大切な人をしのぶ場所だったりという理由で、ある風景が自分にとって特別な意味を持つということは時々ある。そういう場所がある時スクリーンの映画になっていて、風の吹いている感じや色彩のイメージが自分の心象風景のままだったりして感動した経験はないだろうか?「ゆめのかよいじ」も「モノクロームの少女」もそういう映画である。




2015年3月2日月曜日

高倉健の魅力 修善寺と神楽坂と映画「あ・うん」のこと

去年の夏を藤沢で過ごしていたある日、思い立って東海道線で西伊豆に向かった。東海道線のプラットホームでいつも見ている反対方向の列車に乗ってみたくなったからだ。漠然と学生の頃に歩いたことのある土肥とか戸田の辺りを目指した。鉄道を乗り換えて修善寺駅まで旅は快調だった。修善寺に着いて、バスを待つ間に、電話で西伊豆の宿を予約しようとしたらどこもいっぱいだった。修善寺の温泉に泊まることにした。川沿いの宿は大きな露天の岩風呂の他に、個室のヒノキ風呂もあって良かった。夜になってお寺の境内を見学に行った。川沿いの散歩道が竹林に囲まれて素晴らしかった。朱塗りの橋がかかっていて、対岸の木造の宿が散歩道から見えた。

年末に名優高倉健が亡くなった。日本に帰省していたので、有楽町スバル座の健さん追悼上映に3週続けて通った。まずは大好きな「夜叉」。スバル座のスクリーンで観るのは感動だった。その次の週に「あ・うん」を観た。日本を出発する直前に観た「単騎、千里を走る」は中国映画(チャン・イーモウ監督)だが、日本が舞台となる部分は降旗康男監督が撮っている。3本とも降旗監督、健さん主演の映画を見たことになる。


名画「あ・うん」(1989年)の評判は聴いていた。向田邦子の原作は何度かドラマや映画になったが、これまで観る機会がなかった。健さんがとにかくかっこいい。ヒロインを演じた富司純子さんの魅力もきらきらしている。「昭和残侠伝」時代のこの二人が再会して、スクリーンに戻ってきたような気がした。男同士の友情と親友の妻への思慕をめぐる葛藤の中での、大人のほろ苦い人間関係を描いたこの映画は渋い。この歯がゆさとやるせなさは、「世間の義理」と「熱い人情」の間で耐え忍ぶ健さん主演の任侠映画と共通のものだ。親友二人と片方の妻の3人で伊豆の修禅寺に行く場面を観てびっくりした。映画の宣伝ポスターにもなっている橋も、新井旅館も去年の夏に夜の散歩道から眺めた場所だった。


この映画の中に神楽坂も出てくる。近くに半年ほど住んだことがあるので、懐かしい。本多横丁辺りの粋でレトロな雰囲気と、フレンチ・レストランや赤城神社のカフェなどモダンなものが混ざり合う感じがとても良い。粋な料亭というと、東京の会社員だった頃、一度連れて行かれたきりだが、神楽坂はその昔は花柳界が栄えた街だ。花柳界という言葉は陸遊という人の漢詩から派生した「柳暗花明」という言葉に由来するという説がある。山を越えて暗い柳の道をたどるような辛い時でも、諦めずに進めばやがて花咲く里にたどりつくという意味だ。向田邦子は戦前の東京を舞台にした名作をたくさん書いている。「あ・うん」でも戦争中の暗い時代を生き抜いた人々の祈りみたいな気持ちを表現したかったのかも知れない。