2016年9月30日金曜日

Nosir Saidov 「トゥルー・ヌーン」 タジキスタンの国境をめぐる物語

今月の後半から「中央アジア+日本」対話という政府と国際交流基金と3大学(東京外大、東大、筑波大)の共催による大きなイベントの一環として中央アジアミニ映画祭が開かれている。四谷三丁目の国際交流基金まで出かけて、「トゥルー・ヌーン」というタジク映画を観てきた。

タジキスタンは旧ソ連から1991年に独立した中央アジアの山国だ。東で中国、西でウズベキスタン、北でキルギスタン、南でアフガニスタンに面した内陸国である。わたしは1999年から2004年までウズベクの首都タシケントに駐在していたが、このときにたタシケントから車で一時間半ほどでたどりつけるタジキスタンの中堅都市フジャント周辺に位置するプロジェクトも責任範囲だったので何度も訪れる機会があった。首都であるドシャンベまでは険しい山越え道路があるが、不便なのでフジャントから飛行機で訪れている。この国まで独立直後の1992年から1997年まで内戦状態にあった。旧ソ連以来の指導部であった共産党系の政府と南側のイスラム系の野党勢力が対立した。国連の調停をへて停戦合意に至った後でも、不安的な状態は続いた。筑波大学の秋野豊先生が国連勤務中に武装強盗グループに襲われ殉職されたのは1998年のことだ。

以上のような背景を知ってからこの映画を見るといろいろなことを考えさせられる。映画の主人公であるロシア人エンジニアはタジキスタンの小さな村の気象観測所を任されている。かつては数名いたはずの観測所も、補充がないので本部派遣職員としては一人だけになっている。彼のアシスタントとして気象観測を手伝っているのが村の娘さんだ。映画の題名となっている気象条件について語り合う場面でこの映画は始まる。この美しい娘は谷間の隣村の若者と結婚する日も近い。村の人々や生活がユーモラスに描かれて心温まる物語が展開する。

ある日、隣村との境に兵士たちがやってきて鉄条網でフェンスを建設すると、幸せな谷間の村の物語は急展開する。谷間の小さな村は単独ですべてがまかなえるわけではない。病院も、学校も隣村まで行かなければ困ったことになる。この映画の中では明示されていないが、人々の服装からみるとこの小さな村はタジク人の多い村で、お隣はウズベク人の村のようだ。白いキルギスのフェルト帽をかぶった人たちと、黒い紙でできているウズベク帽をかぶった人たちなどで見分けがつく。地図を見ればすぐわかるがタジキスタンの北部はフェルガナ盆地に位置していて、国境線が複雑だ。住んでいる人々の地域だけを丸く囲ったような飛び地(enclaves)も存在している。

これは旧ソ連でスターリンの時代に策定された国境線だ。有力地域だったフェルガナ地方が一つにまとまって独立を目指すことを防ぐための分断政策と言われている。それでも旧ソ連の時代には自治共和国の間での人々の往来などはかなり自由だったことが、この映画でも描かれている。この状況が1991年に中央アジア各国が独立を果たすと激変する。これまでは政治的な理由での名目上の存在でしかなかった地図上の線が、本物の国境として鉄条網に置き換えられた。この映画で描かれているのはそういう実際に起きた状況であり、架空物語ではない。

年老いて故郷のロシアの家族の元に帰ることを夢見ていた心優しいエンジニアは、降ってわいたような鉄条網の国境とその周辺に埋められた地雷への対策を講じる。幼い頃から自分を手伝ってくれて、今はわが子のようにも思うようになった娘を無事に隣村に嫁がせたいと願う。彼の願いは叶うが、それには大きな代償を伴うことになる。この映画はタジキスタンが独立して以来18年経った2009年に初めて公開された劇場用映画だそうである。それだけの美しさと気品に満ちた映画に感動した。



 

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