2018年3月21日水曜日

キルギス映画 アクタン・アリム・クバト監督「馬を放つ」

岩波ホールで上映中のキルギス映画を観た。一昨年の中央アジア映画祭で外語大キャンパスで上映された「明りを灯す人」を観てその映像の美しさに感激した記憶はまだ新しい。同じ監督の作品が2017年に公開されてベルリン国際映画祭、アカデミー賞外国語映画賞などで高い評価を得たというニュースをフェースブックで知り、日本での劇場公開を楽しみにしていた。わたしがこの国に住んだのは2007年の秋から2011年の夏までだが、90年代の後半には電力開発のプロジェクトのモニタリングと新規案件の準備のために何度も訪れた国だ。
 
この新作では山に囲まれたキルギスの風景も素晴らしいが、月の夜に馬に乗って疾走する主人公の姿がまるで神話のような雰囲気を感じさせる。騎馬民族としての伝統を持つ人々が住むキルギス共和国は天山山脈の麓に位置するシルクロードの国だ。8世紀に唐とイスラムが中央アジアの覇権をめぐって戦って以来、イスラム圏に属していたが、やがてロシア帝国の時代となる。20世紀のロシア革命の後ではソビエトを構成する自治共和国の一つとなった。やがて東西冷戦が終結し、1991年に独立国となった。国土の大部分が山と湖に囲まれてとても美しい国だが、厳しい冬から春先までの生活は容易ではない。
 
この映画の題名が象徴的だ。主人公は馬が大好きで村人たちからケンタウロスと呼ばれている。ギリシャ神話のケンタウロスは半人半馬の姿をしている者たちの名前だ。ウィキペディアを調べてみると、ケンタウロスの起源は東方の騎馬民族であるスキタイ人と戦ったギリシア人が、彼らを怪物視したものだという説があるそうだ。中央ユーラシアの草原を馬に乗って自由に駆け回り、西側の征服者たちと勇敢に戦ったのが騎馬民族であった自分たちの先祖であるという誇りがこの映画のモチーフになっているのは間違いなさそうだ。神話の時代までさかのぼらなくても古代マケドニアのアレキサンダー大王が中央アジア経由でインド遠征を試みている。キルギス共和国が位置するフェルガナ地方は名馬の産地として知られてきた歴史がある。
 
この映画では、月夜に金持ちの牧場に忍び込んでは、名馬を疾走させていた主人公がやがて捕まってしまう。遠い親戚で今は成金でもある馬主に「何故だ?」と問われて、やがて涙とともに語る場面が凄い。その昔、人々が誇り高く暮らしていた時代に、人々は馬の守護神であるカンバルアータを怒らせてしまい、守護神は消えてしまった。それ以来幸福も繁栄も消えてしまった。その守護神に再臨してもらうためには月夜に駿馬に乗って神様を探しに行かなければならないのだと主人公は自分の行動の理由を語る。
 
この主人公の奇妙な行動の理由となった守護神の名前を、主人公の語りの中で聞いた時にびっくりした。わたしが開発関係の仕事でこの国と関わるようになった時の大型水力発電所の名前がカンバルアータ第一、第二発電所だ。この国は電力供給の9割を水力に頼っている。この国全体の発電能力が360万kwだが、そのかなりの部分が老朽化し、修繕を必要としている。新規電源の開発はこの国にとっては課題であり、将来への希望でもある。他方で旧ソビエトが崩壊以前から、維持費も新規建設資金も滞りがちだったのでカンバルアータの第一 (120万kw)、第二 (40万kw)を含めて電源開発は進んでいない。
 
大型水力発電所の新設がこの国の経済開発にとっての希望であり、夢でありながら、遅々として進まず、人々は前作の「明りを灯す人」に描かれたような電力不足の不自由な生活をしているのが現状だ。2005年の春に革命が起きた時も、2010年の春に政変が起きた時も、厳しい冬の間の人々の生活の苦しさ、経済開発の遅れへの不満、政権の汚職が人々を決起させた要因となっていた。この辺りの事情を知らないと主人公の絶望の理由が、映画を観る人にはうまく伝わらないかも知れない。
 
同じ監督による「馬を放つ」と「明りを灯す人」に共通する哀しみと山々の美しさが圧倒的だ。とても印象の強い映画である。
 
 

 

 

 

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