2014年11月22日土曜日

「偶然の旅行者」 沢木耕太郎の映画評「薄暮の虚無」が鋭い

沢木耕太郎の「鑑定士と顔のない依頼人」の映画評を読んで以来、この人の書いたものを時々チェックしている。「世界は「使われなかった人生」であふれてる」は2001年に出版された本だ。幻冬舎文庫に入っている。この本で一番刺激的なのは本の表題にもなっている冒頭のエッセイだ。沢木理論によれば子供の頃はその映画に夢中になれるかどうかは、自分の夢を託すことのできるヒーローやヒロインが登場してくるかどうかにかかっている。これが大人になると「ありえたかも知れない人生」に思いをめぐらしているような主人公が気になってくる。「歳を取るにしたがって、未来への夢より過去の記憶のほうが大きな意味を持ってくるようになるからだ」。鋭い指摘だ。

この映画評をまとめた本では32編のエッセイでそれ以上の数の映画が取り上げられている。この本をしばらく前に買って、最初から読まずに、手当り次第に開いて読んでいたのでもう少しで挫折するところだった。目次に映画の題名がついていない。それぞれの映画評に寸評風の題名がついている。全部読まないと自分の好きな映画まで辿りつくのが難しい。ほとんどあきらめかけていた頃に冒頭から3番目の「薄暮の虚無」を読んだ。アメリカの小説家アン・タイラーの原作をローレンス・カスダン監督が映画化した「偶然の旅行者(Accidental Tourist)」についてのエッセイだ。


この1988年の映画はウイリアム・ハート主演で、ジーナ・デイビスがヒロインを演じた名作だ。1986年の「愛は静けさの中に(Children of a Lesser God)」、1987年の「ブロードキャスト・ニュース」とたて続けに話題作に出演していたウイリアム・ハートの当時の人気は凄かった。ジーナ・デイビスも新鮮だった。この女優は1991年の「テルマとルイーズ」でスーザン・サランドンとダブル・ヒロインを演じている。自由奔放で魅力的な彼女がまだ駆け出し時代のブラッド・ピット演じる若者に有り金を巻き上げられるところから、話が危険な方向へと転がり落ちて行く映画だった。


「偶然の旅行者」では主役とヒロインの二人の印象がとても強いので忘れてしまっていたが、ウイリアム・ハートの奥さんの役を演じていたのは名女優キャサリン・ターナーだ。この人がマイケル・ダグラスとの共演で妻の強さと怖ろしさを演じた1989年の「ローズ家の戦争」を観た時にはびっくりした記憶が新しい。


沢木耕太郎は「偶然の旅行者」で子どもを失った夫婦の関係が破綻していく理由として、それぞれの傷つき方の違いを説明している。妻にとっては「それは深くえぐられた、とめどなく血の流れる傷」だ。ウイリアム・ハート演じた夫にとっては「それは未来に続く自己の一部を失ってしまったということ」だ。「欠落」は血を流させもせず、苦痛に顔を歪ませもしない。。。だが、欠落は、いつまでたっても埋まりはしない」。これだけ読むと沢木耕太郎が男の傷つき方に肩入れしているようにも読めるが、そうではないのだろう。私生活でも似たような状況に苦しみ、そういう欠落感を抱えていたウイリアム・ハートが映画の上でも同じような役を演じることになったことを沢木耕太郎は論じている。


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