2016年8月14日日曜日

魂が浮遊する世界 五藤利弘監督映画「ゆめのかよいじ」と栃尾の石積み

須永朝彦著「日本幻想文学史」(平凡社ライブラリー)という本の中に「夢の通い路ー王朝物語の再生」という章がある。大正期以降に芥川、谷崎、三島など数多くの作家が古典である様々な王朝物語に取材する形で作品を書いていることが紹介されている。「夢」を媒介とした耽美的な世界であり、「生霊が跋扈する蠱惑的」な世界でもある。五藤監督の映画「ゆめのかよいじ」は新潟県長岡市にある栃尾の風習、「石積み」を背景にした作品だが、ローカル色豊かながら古典の伝統をきちんと踏まえた作品でもある。長岡市の栃尾を流れる刈谷田川の河原で平たい石を卒塔婆のように積みあげるのが「石積み」だ。この川はこちら岸の世界とあちら岸の世界を隔てるものの象徴だ。わたしは刈谷田川のほとりで生まれたこともあるが、この映画にはまってしまった。

栃尾の石積みの風習は8月7日に行われる。死者が此方の岸の世界から彼岸の世界へと向かう時に、親より早く亡くなった子供たちの霊は三途の川を渡ることを許されずに石を積む作業を命じられる。子供たちはやがて救済されるまで死者でも生者でもない状態で薄明の世界を浮遊するのだろうか。ウィキペディアには以下のような説明がある。


「三途川の賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが親の供養のために積み石(ケアン)による塔の完成をめざすが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうという俗信がある。子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済される。」

浮遊する子供たちの霊がお盆で親たちの住む此の世界に戻っている間に、石積みの作業を肩代わりするのが栃尾の行事の意味だろう。映画「ゆめのかよいじ」 は浮遊する人と現在を生きている人との交流をテーマとして、長岡市の山河を舞台に撮影された。緑の山河が繰り返し出てくる美しい映像によってこの「彼岸」のイメージが見事に表現されている。「人を想う気持ち」というのはラジオの周波数のようなものだ。この映画のヒロインは亡くなった父と過ごした時間を思い出すたびに父の好きだったピアノの曲を想い出す。このヒロインからとても強く発信されている「想い」が60年前のある出来事につながって行く物語だ。いろいろ考えながらこの映画を見直すとまた違った印象を持つことになりそうだ。

 

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