週刊文春のコラム「本音を申せば」の小林信彦の映画評が好きだ。10月9日号でこの人が今年8月に急逝したロビン・ウィリアムズについて書いている。代表作として「ガープの世界」、「グッドモーニング・ベトナム」、「いまを生きる」、「レナードの朝」などを挙げているのは順当なところだが、この人は「ハドソン河のモスコー」(1984年)を好きな作品としてコメントしている。
この映画を観たのは1986年の7月だ。ニューヘイブンで英語の勉強をしている時にアメリカ人の先生が見せてくれた映画だ。たまたま亡命することになったロシア人が片言の英語でニューヨークで生きていくところを生徒に見せて激励してくれたのだろう。モスクワのサーカスでサックスを吹いている主人公が米国公演のメンバーとしてニューヨークを訪れることになることから物語が始まる。
映画の前半の見どころは冷戦下の旧ソ連の生活の雰囲気が描かれているところだ。亡命を夢見ていたサーカスの同僚にKGBの注意が集中していたことから、思いがけなく主人公に亡命のチャンスが訪れる。ニューヨークのデパートの中でのドタバタ騒ぎの後で亡命に成功してしまう。映画の後半の見どころはこの亡命ロシア人がサックス奏者としての仕事も、家族の絆も、母国語すらも犠牲にして新天地ニューヨークで生きて行くことの寂寥感だ。この映画を観てロビン・ウィリアムズが好きになった。その後も名作に多く出演したが、それでもこの映画が一番だ。
この映画を撮ったポール・マザースキ―監督はお祖父さんがウクライナ人でアメリカに移住した人だそうだ。この映画では自由の天地アメリカへの憧れと自分が生まれ育った国に置いてきたものを想う気持ちの両方が描かれている。ロビン・ウィリアムズがその微妙な感じをとてもうまく出している。この監督の1988年のリチャード・ドレイファス主演の「パラドールにかかる月」、1989年の「エネミーズ ラブストーリー」も懐かしい。