2014年10月20日月曜日

五藤利弘監督「モノクロームの少女」 五藤ファンタジーの原点

五藤利弘監督の「モノクロームの少女」(2009年)という作品を観た。この映画をみて感じたのは同監督の話題作「ゆめのかよいじ」との共通点だ。監督自身の郷里である長岡市の緑の田園風景が映画全編を流れる。街の中を川が流れ、物語は橋の上で展開する。ヒロインの少女が地震で廃校となった校舎の建物の中で見つけた一葉の写真から謎解き物語が始まる。そこに写っている女性の「想い」をテーマにしたファンタジー仕立ての物語は「ゆめのかよいじ」と共通するものだ。五藤監督ワールドのファンにとってはこの一貫した姿勢がうれしい。

この映画には長岡市栃尾にある南部神社というお社が登場する。境内に猫の石像があって、「猫又権現」とも呼ばれる。招き猫で縁起が良いとして、商売繁盛を願う人も参拝するらしい。この神社は鎌倉時代末期の武将新田義貞に縁があるそうだ。後醍醐天皇に呼応して、群馬を拠点にしていた新田義貞が挙兵した時に、越後の国の新田氏の一族も参加した。その挙兵の日に祖先の霊を慰めるための供養が、毎年5月8日に行われる。南部神社の「百八灯」と呼ばれる伝統行事である。暗闇の中に数千のろうそくの灯りが浮かぶ幻想的な光景だ。喪われた者たちの想いを描いた「モノクロームの少女」に良く似合う場所だ。


2014年8月に五藤監督にお会いする機会があったので 「今のようにご自分の作品を撮れるようになるまでの修行時代は助監督としてどういう活動をされたのですか」 と質問すると 「脚本を書いていたので助監督は経験していません」 という返事だった。抒情的なファンタジーと物語にこだわる五藤監督の作風もそれで納得できる。「モノクロームの少女」もご自身による脚本作品だ。長編としては第一作にあたる作品なのでシナリオライターを目指して若いころから温めてきたらしい様々な思いが映画の前半に盛り込んである。好きだった女の子への思いであり、気になる友人がいて、郷里の日常があり、憧れの対象としての東京があり、そこへの脱出の手段としての受験がある。このあたり監督の昔の日記を読んでいるような興味はあるが、話の展開はゆったり気味だ。


この映画は後半に入ってテンポが速くなり、面白くなる。駆け落ちした異国で病没したモノクロームの写真の女性と、その後生きる気力を失くしたようにやはり早世したその恋人をめぐる物語が展開する。死後であっても一緒になりたいという逝った者たちの「想い」が若い主人公たちに乗り移って「悔いのない人生を生きろ」と呼びかける。ちょうど「ゆめのかよいじ」で二人のヒロインが共通して愛したピアノ曲が彼岸と此岸に立つ者たちの想いをつないだように、「強く人を想う気持ち」を共有する主人公たちにしか見えない形でこのファンタジーが成立する。この謎解きをめぐってのテンポの良さが快く、熱い気持ちが伝わる爽やかな青春映画だ。


この映画が気になった人は五藤監督の作品「スターティング・オーヴァー」も観るべきだろう。2013年に公開されたこちらの作品は「モノクロームの少女」の上京篇だと思っている。シナリオライター出身の五藤監督が自らの青春と旅立ちを振り返っている感じの強いこれらの作品を観て、黒木和雄監督の傑作「祭りの準備」(1975年)を思い出した。こちらは中島丈博氏が自身の郷里である高知県中村を舞台にして脚本を書いたものだ。土佐の海を描いた映画と越後の山河を描いた映画の違いはあるが熱い気持ちに共通するものがある。もう10年くらい経った時に五藤監督に、一連の故郷映画を上京篇まで加えて、リメイクしてもらうとどういうことになるだろかと想像するのも楽しい。


2 件のコメント:

  1. 五藤監督を通して映像になっていく故郷に対する筆者の思い入れ充分伝わります。

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